遼州戦記 播州愚連隊
定時を過ぎて3時間。人影もまばらな隊舎の廊下を明石は歩いていた。黒の上下に紫のワイシャツ。ネクタイは赤。それにサングラス。はじめは好奇の目で見られた明石のスタイルもすでにそれが普通と思われていて、警備の兵士も敬礼をして彼を見送る。そして自分の車のドアに手を伸ばしたとき背中に気配を感じて振り返った。
「なんだ、別所か」
安堵の声をあげる明石。そしてそこにはいつもどおり海軍の勤務服姿の別所がいた。
「とりあえず来い!」
突然別所が明石に手を伸ばす。
「なんや!突然!」
「いいから、車は置いていけ」
そう言うとそのまま隣の車止めに止めてある公用車に明石を引きずり込んだ。
「ええのんか?あがくのにも流儀がいるやろ?ワシはこんな格好で……」
「かまわん。出してくれ」
そう言って別所が声をかけた運転手は黒田だった。
「オメエ本当にそれじゃあ堅気にはみえないな」
助手席には魚住が座っている。車はそのまま制限速度を超えて官庁街へ向かう道をひた走る。
「なんやねん。説明、きっちりしてもらおうか?」
自分の剣幕に少しは驚いて見せるだろうと思った別所だが、彼はまるで明石の言葉が聞こえないようにフロントガラスの外の景色を眺めていた。
「拉致するからな」
突然別所が吐いた言葉に明石は顔をゆがめた。
「拉致って……。それは……穏やかやないなあ」
口の中の唾液を飲み下す明石。車はそのまま海軍省の地下駐車場へと乗り込む。黒田が車を止めるとすぐに扉が開かれる。
「狙いは誰や?」
その言葉にようやく笑顔を見せる別所に明石は背筋が凍るのを感じた。
「赤松のオヤジだ」
別所はそのまま腰の拳銃に手を当てている魚住に続いてエレベータに乗り込む。
「大丈夫」
明石の剃り上げられた頭の中はひたすら混乱するばかりだった。
「おう、扉が開けば艦隊司令の会議室だ。覚悟を決めろよ」
そう言うと別所も腰の拳銃を抜いてスライドを引いて装弾、そしてそのまま安全装置をかけてホルスターに戻す。
「開くぞ」
魚住の言葉に明石も覚悟を決めた。
そのまま第三艦隊司令室のある海軍省に乗りつけた明石達は周りの目も気にせずに銃を手にしたまま階段を駆け上がった。そして三階の司令室の並ぶフロアーに付くと人々に銃を見せるようにして威嚇した。
「急ぎ赤松司令にお会いしたい!」
そう叫びながら拳銃をちらつかせる別所の姿に、廊下に散在していた司令部付きの将校達は驚いた様子で道を明けた。別所は赤松の懐刀と言われるほどに重用されている士官である。その男がいつも司令部では顔パスで通っている別所の親友、魚住、明石、黒田を伴って歩く様に圧倒され誰もその歩みを止めることができなかった。
別所はそのまま第三艦隊司令室に入り込んだ。
「うるさ……なんや、別所か?物騒なもんを持ってからに」
「赤松司令!ご同行願えますか?」
別所の顔を見て、その手にした拳銃を見る赤松。
「ずいぶんとまあ……急やな」
「ご同行願います!」
繰り返す別所に諦めたような顔をして赤松は立ち上がった。明石は目で合図を送る別所に従って赤松の腕を掴む。
「乱暴な……」
そう言いながらニヤニヤ笑う赤松を部屋から連れ出しそのまま拳銃を構えつつもと来た廊下を引き返す。誰もが異常に気づきながらただ呆然と見守るだけ。その中を四人の青年将校と第三艦隊司令が歩いていく。そしてそのままエレベータに赤松を連れ込んだところで別所は拳銃を仕舞って土下座した。
「なんやねん。話聞こか」
明石に押さえられていた肩をぐるぐる回すと落ち着いた調子で赤松は別所を見下ろす。
「会っていただきたい方がいるので」
それだけ言うと別所は立ち上がる。
「ここまでして会わせる?誰や」
赤松はまるで彼の方が別所をさらったと言うような表情で訪ねる。
「それはしばらく」
「ほう、別所がそこまで言うとは。楽しみやな」
満面の笑みの赤松。エレベータは地下駐車場について扉が開く。拳銃を取り出した別所がそれを赤松の額に突きつけて立ち上がる。
予想通りすでに警備の兵士達が外で待機していた。構える自動小銃ににやりと笑みを浮かべながら明石が羽交い絞めにしている赤松を見せつけながら別所は兵士達をにらみつける。
「見ての通りや。何もするな」
落ち着いて兵士に叫ぶ赤松。別所は拳銃をちらつかせて道をあけるように指示する。
開いた先、黒田が車に飛び乗りそのまま運転席に座る。明石は後部座席に赤松を押し込みそのまま別所と赤松をはさむようにして座った。
兵士達はそのまま呆然と走り去っていく車を見守ることしか出来なかった。
「さてと、これでワシは無理やり青年将校に拉致されて会見場へ引き出されたいう証言が作れるなあ」
赤松はそう言って両手を伸ばす。
「別所!貴様!」
明石は自分が完全に踊らされていることに気づいて叫んだ。若手海軍士官による強制的和睦。それが今回のシナリオだった。
「ああ、坊さんすまんな。別所のやり方はどうも乱暴でいかんわ」
そう言って赤松は隣で黙って前を向いている別所をかばう。
「さてと、正親町三条邸へ……そや、正親町三条さんは明石の部下やったな」
赤松の言葉にしばらく混乱していた明石だが、それが彼の唯一の女性の部下正親町三条楓をさすことを思い出し手を打つ。
「仕組んだのは嵯峨大公でんな」
じっと赤松をにらみつける明石。自分の顔が闇屋の用心棒のときのものになっていることくらいは明石も分かっていた。だが赤松も別所も黙って車に揺られている。追跡する車は無い。ただ黒田の運転する車は官庁街を抜け、貴族の邸宅の並ぶ町並みを進んでいた。
「ですが西園寺大公は家から出ていない言いますけど」
「新三のことや、康子はんをつこうて首根っこ掴んで引き出したんとちゃうか?」
そう言って赤松は笑う。車が減速し大きな門構えをくぐる。車止めには先客がいた。陸軍の公用車、自然に赤松の顔が曇る。
「清原さんか」
車が止まり、書生がドアを開ける。別所、赤松、明石の順で正親町三条家の玄関に降り立つ。
「おう、貞坊!」
赤松が叫んだ先には暗闇に一人の陸軍大佐が立っていた。明石が目を凝らす中、その将校はゆっくりと近づいてくる。
「安東大佐……」
別所の言葉に明石もその男が『胡州一の侍』と呼ばれたアサルト・モジュールパイロット安東貞盛大佐であることを理解した。
「西園寺公は?」
ゆっくりと一語一語確かめるようにして安東は赤松に尋ねた。
「康子さんのことはよう知っとるやろ?大丈夫なんちゃうか?」
それだけ言うと赤松が何かに気づいたように振り返った。黒い高級車が屋敷の車止めに止められる。その中でちらちらと刃物のようなもののきらめきが見えて別所が腰の拳銃に手をかけようとした。
「やめとけ、康子はんや」
赤松の言葉に書生が開けたその車のドアから薙刀の先が突き出しているのが見えた。それに続いて諦めたような顔の西園寺基義が現れる。
「赤松君!これはどう言うことだ!」
車から降りた西園寺はそのまま自分を笑顔で見つめている赤松に詰め寄る。
「ああ、これの文句は新三に」
作品名:遼州戦記 播州愚連隊 作家名:橋本 直