その後の、とある日曜日の話
仕事中の彼、そして彼女との再会
終わった。あー長かった!もう、当分ノートパソコンの画面はゴメンだわ。わたしはノートパソコンが入って少し重たいバッグを担ぎなおし、ファミレスを出た。時間は経っているようで案外経っておらず、腕時計に目を落とすと15時10分――微妙な時間だわ。あとはプリントアウトして、校正したら提出すればOKなのだけど、流石に学校も日曜までは開いていない。仕方ない、あとは家に帰ったらやろう。
はあ、それにしてもなんて暑いの。額に汗が浮かぶ。さっきまで潤っていた喉が一気にカラカラになった。全身からじんわりと汗が滲み出す。嫌だわ、この新陳代謝の良過ぎるカラダ。公園に入ると自販機でひとまず水を買って、喉に流し込む。ああ、美味しい。
すると、何やら声が聞こえた。大勢の人が、わっと上げた声。あれ、今日って何かイベントでもやってるのかしら。ここ、そんなに大きな公園じゃないのに。なんとなく声のした方を向くと、人だかりが出来ている。何の気なしに歩いていくと、目の前を知ってる背中が歩いていた。この季節なのに真っ黒なライダージャケット、高い身長……あれ。
「エー介、くん?」
だっけ、と思わず付けてしまうと、彼は振り向いて首をかしげた。しまった、この格好で会ったこと無いんだっけ。エー介くんは案の定、首をかしげて訝しげにわたしを見ている。
「誰だ」
「わたしよ、わたし」
「わたし、なんて知り合いはいねぇな」
「秋緒よ、忘れちゃったの?」
名前を名乗ると、一瞬ぎょっとしたように目を見開いて、わたしを上から下まで見やる。あれ、結局彼って、わたしのことまだ気付いてなかったんだっけ。彼は幾度か頷くと、「ああ」なんて、漸く思い出したように声を上げる。
「日が高いうちに会ったことねぇから、誰だかわからなかった…ああ、化粧してねぇんだな」
今更気付いたかのように言われた言葉に、わざとらしくウインクをしてやる。
「悪く無いでしょ」
「ああ」
当たり前のように返されて、逆に言葉に詰まった。わたしの顔は、眉毛はしっかり整えてあるけどスッピンは自分で言うのも悲しくなるけどただの男。……まさかとは思うけど、気づいて無い?少し驚いただけで、全く疑う素振りの無いエー介くんの様子に、わたしは逆に心配になってしまった。
「あの」
「それよりさっきそこで、カンカンが飛んでったんだ」
わたしの言葉はあっけなく「それより」にかき消された。妙に興奮したその言葉に、わたしは「ああ」と呟く。
「この前言ってた九官鳥ね、わたしも見たい!」
「だろ、多分あの人だかりの中にいるんだ」
親指で差すと、小脇に抱えた荷物を抱えなおして彼は人だかりへと向かっていった。わたしもその後を追いかける。ステレオで音楽が聞こえた。響き渡る歌声――ああ、誰かが歌ってるのね。綺麗な声…でもこの声、どこかで聴いたような……?それに、ただのストリートミュージシャンが歌っているのにしては、随分とギャラリーが多い。エー介くんは、少し離れたベンチの上に荷物を置いた。
「あれ…エミィ?」
「知ってるのか?」
「知ってるって言うか……」
言葉を切ると、頭上からひゅっと黒い影が降りてきて、ベンチにとまった。カラス……じゃない、あれ、九官鳥?
「エー介殿、今日もご苦労様で御座います」
「おう、カンカン。これ、いつも通り」
「えっ……ほんとに喋った!」
小脇に抱えた荷物を示すと、「では、いつも通りこちらへ」と、小さい鞄の横を指し示す。
すると、エー介くんの言った通り、その九官鳥は嘴で器用にボールペンを銜えサラサラと綺麗にサインしたのだ。……読めないけど。何語だろう。カンカン、かあ…。わたしが何も言えないでいると、エー介くんはひょいとその伝票を受け取り
「サンキュ」
と懐へ仕舞って立ち上がり「じゃあ、仕事の途中だから」とわたしとカンカンに一声かけて去っていった。
するとほぼ同時に、一まとめになっていたギャラリーが、じわじわと散り始めた。どうやら、コンサートは終了したらしい。彼女――エミィは、群がる人の群れを笑顔で交わし、カンカンはいつの間にか人払いをサポートしていた。
「…まあ、アキさん!」
「エミィ!」
ころころと転がる音色のような口調で、エミィはわたしに駆け寄ってきた。間違いない、その姿は先日行き会った少女、エミィのものだった。思わず、手を取り合う。然程大きくないその手は、わたしの手の中にすっぽりと収まる。わたしは少し腰を落とした。
「心配したんだよ、急にいなくなっちゃったから」
「ご心配をおかけして、申し訳有りませんでした…」
カンカンはベンチの上からひょいと飛び上がると、エミィの鞄の上にとまる。
「お嬢様、ではこの方が――」
「ええ、私を助けてくださったアキさんですわ」
「大袈裟なこと言わないでよ、大したことしてないんだからさ」
カンカンは幾度か羽ばたいてベンチの背にとまると、恭しくお辞儀をしてきた。頭がすっと喉元にめり込んでいるようで、少し笑ってしまう。可愛いなあ、エー介くんが肩入れするのもちょっとわかるかも。
「申し遅れました、ワタクシこのエミィランミラミィエル様の従者、カンカッカカンカーンで御座います」
「エミ…」
「今までどおり、エミィで構いませんわ」
「ワタクシめも、どうぞカンカンとお呼びください」
え、今のエミィの名前なの?それすらも把握できていなかったわたしと目が合うと、エミィはふんわりと微笑んだ。何となく、心が安らぐ。
「ねえ、エミィ。この後暇?もしよかったらちょっとお茶しない?」
そこで、と公園出口に隣接した小さな喫茶店を指す。と、エミィは眉毛をはの字に曲げて大層残念そうな表情をした。
「ごめんなさい、今日はこの後行かなければならないところがあります」
「ああ、そっか…気にしないで、また誘うから」
「アキさん」
エミィが「カンカン」と一声掛けるとカンカンは鞄のポケットからスマートな動作でカードサイズの一枚の紙とボールペンを取り出し、すらすらと字を書いた。そのまま銜えると、エミィに渡し、それをエミィがわたしに両手で差し出してくる。手に取ると、そこには既に印刷された『エミィランミラミィエル』の文字があった。上に小さくアルファベットの混ざった事務所の名前が書いてあって、簡素だけど、これは名詞だった。その下に、カンカンが今書いたであろう数字が書かれている。さっきのサインとは違って、これはきちんと読める――これはれっきとした数字。090……えっと、携帯番号かな?
「こちらが、私の連絡先です」
「エミィ、携帯持ってるんだ」
「恥ずかしながら、持っているだけでまだきちんとは使えませんの。持っているように、知ってる絵が表示された時にだけ出るようにとだけ言われております」
「このカンカッカカンカーン、こちらの世界の利器は流石に上手く使いこなせず…」
鞄の中から、ピンク色の可愛い携帯電話が出てくる。うわあ、何気に最新機種。っていうか、エミィってやっぱり何者?一瞬その思いが過ぎったけれど、わたしはひとまずエミィに手を差し伸べた。
「エミィ、ちょっと携帯見せてくれる?」
「え…」
エミィの手の中の携帯を、手の中にあるままわたしは携帯の背を見た。赤外線、みっけ。
「これと同じマークの画面、探して」
作品名:その後の、とある日曜日の話 作家名:さくら藍