少年とみかん
彼のいる居間は、彼の座っている炬燵の辺りに、カーテンごしにオレンジ色のかすかな光があたっているのを除けば、暗黒の世界へと化しつつあった。
ふと彼は台所へ行ってポテトチップスでも食べようと思った。こんな時にはテレビでも見ながらポテトチップスなんかを食べるに限る、どうせ家の人なんかいつ帰ってくるかわからないし。などと考えながら、台所へ入った。
台所は西向きの窓から夕陽が強くさしこんできているので、彼はさっそく食器棚の下のとびらの右側に入っているはずのお菓子を取り出そうとした。
しかしないのだ。一つもないのだ。昨日の三時のおやつに食べ尽くしてしまったのだ。そこには彼の嫌いな生姜湯と白くて穴だらけの寒天と、お好み焼き用の小麦粉だけが残されていた。
彼は呆然と立ち尽くした。彼は窓の外にあるエサ台のオナガが、鋭い泣き声を残して飛び去るまで、ただひたすら窓の外をあてもなく見つめていた。
そして彼は居間にもどろうとした。
すると冷蔵庫のうえに橙々色の物体が偶然目に入った。
「みかんだ。」
彼は叫んだ。それはまぎれもなくみかんだった。彼の大好きなみかんだった。
彼はさっそく冷蔵庫に駆け寄って、その上に乗っているみかんに手を伸ばそうとしたが、彼はそれをやめてしまった。
なぜなら冷蔵庫はあまりに高いのだ、五歳の彼にはあまりに高すぎたのだ。
彼は考えた。椅子を使ってみたが届かない。近くにあるテーブルを使おうとしたが、重すぎて彼の手にはおえなかった。彼はこの時ほど、世界中の大人を憎たらしいと思ったことはなかった。そして、この時ほど悲しくなったこともなかった。
夕陽は彼の顔を真横から照らしはじめた。
ふと、彼に一つの考えが浮かんだ。椅子のうえになにかを乗せて、それを踏み台にすれば、あのみかんに手が届くのではないだろうかと。
彼はさっそく実行に移した。椅子の上に乗せる物には、居間の押し入れの中にあった座布団と決めた。彼は座布団を五枚ほど椅子の上にのせた。彼はもう一つ別の椅子を利用して、うまく彼の作り上げた一見みすぼらしい「踏台」の上に乗った。
背の高くなった彼の目の前にあるのは、夕陽を受けて黄色に染まったみかんであった。
「やった、ぼくのみかんだ。」
彼は手を伸ばした。
次の瞬間、この「踏台」に大きな異変が起こった。下から二枚目の座布団が右にすべり始めたのだ。彼は思わず体を反対のほうへ傾けた。しかしそれが更に事態を悪化させることになった。彼は完全にバランスを崩してしまったのだ。
彼は頭から床へ落ちていった。