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さくらいとつち
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novelistID. 4564
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ジェリーの秘密

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静かな部屋で一人と一匹、つぶやいた秘め事
それは決して知られてはいけない、俺の秘密
きっと永遠に、俺とジェリーしか知らない


ジェリーの秘密



弟の言葉は、いつも唐突で、真摯だ。

隣に立っている弟があんまり真剣な顔でいうものだから、思わず笑ってしまった。
「事実だよ、どんなに気分が陰鬱でも、
自殺願望ですら猫を見るだけで消えてしまう」
「お前だけじゃないか?」
「いや、そんなことは、ない」
弟はキッパリと言い切った。その姿の何処にも揺らぎはなく、
「確かにそうだ」と同意してしまいそうになほどには、説得力があった。
思えば、昔から弟にはそういうところがあった。
性格もだが、猫びいきについてだ。
弟はひどく猫を愛した。昔から動物全般を愛してはいたし愛されてもいたが、
中でも猫には異常なまでの愛情と執着を向けていた。
弟に心を寄せる女子が、本気で猫になりたいと思うほどには。
「猫はかわいい、其処にいるだけで愛されるべき権利を持ってる」
如何にも幸せだという顔で、弟は道ばたに寝ている猫の顎をなでる。
猫も猫で人慣れをしているせいか、野良にしては人懐っこく、
気持ちよさそうに目を細めてゴロゴロとのどを鳴らしている。
「虐げられてる猫もいるだろうに」
「そんなやつは俺がやっつけてやる」
「物騒だな」
一つ息を吐く。
それから一向に猫の前から動こうとしない弟の隣に同じようにしゃがみ込んで、
猫の頭を撫でた。すると猫は少し目をしかめたような顔をして、私をにらんだ。
「乱暴に撫でるからだよ、ほら、ゆっくり優しく撫でるんだ」
呆れたように諭されて、少しだけ私の気分は下がった。猫は昔から好きだったのだが、
弟に比べて私は動物全般に嫌われるたぐいの人間だった。
家で昔飼っていた猫は弟にはよくなついたが、
私には餌を与えるときにしか愛想を振りまかなかった。
猫なんてそんなもんだよ、と弟はよく笑っていたが。
「そんなに好きならもう一度飼えばいいのに」
「もう、飼わないよ。」
「なんで」
「ジェリー以上の猫なんて、いない」
まるで男が亡くした恋人を想うような言葉を吐くものだから思わず笑ってしまった。
すると、明らかに気分を害したというよりは、拗ねた少年のような、
そんな幼さを残した表情を浮かべた弟が私を睨んだ。
「俺はまじめだよ」
「そうだな、ごめんごめん」
謝ってみるが、未だに拗ねたような顔をして猫をなで続ける弟は、
こちらを見ようとしなかった。
「兄さんだってそうでしょ」
「何が」
「俺より兄さんの方が猫好きだよ、特にジェリーに関しては」
そういって弟はこちらを振り向く。
その目が笑ってしまうくらいに真剣で、私は少したじろいだ。
「お前に一番なついてただろうが」
「そうだけど、ジェリーを一番愛してたのは兄貴だよ」
「愛してたって」
「事実だよ」
猫から手を離すとそのまま立ち上がって小さく伸びをする。
ようやく動く気になったのかと一緒に腰を上げると、話の続きが私を待っていた。
「泣かないようにずっと唇かみしめてさ、ぼろぼろ泣いてた俺を慰めてたよね」
「お前は目も当てられないくらいに号泣してたよなあ」
「けど、兄貴も泣いてたでしょ」
「知ってたのか」
「うん。実はここだけの話、俺の部屋と兄貴の部屋の壁って結構薄いんだよね」
そういえば、隣の部屋のデッキから流れる音が偶に聞こえてたような気がする。
俺自身、部屋の中ではウォークマンで曲を聴いているので全く気にはならなかったが。
そうか、こっそり一人で号泣してたのはこの隣の弟にはばればれだったわけか。
「布団まで被ってたのにな」
「それは知らなかったよ」
弟の足下で、猫がにゃおんと一つ鳴いた。


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

兄貴は延々と泣き続けた。
隣の部屋からすすり泣く音が聞こえるたびに、
何回部屋の戸をノックしようとしたかなんて、きっと数え切れない。
けどできなかった。だってきっと、兄貴を慰めるときにいる俺は、
兄貴の弟の俺じゃない。俺という一人の男になってしまう。
実の兄貴相手に、それは許されないことで、普通はあり得ないことだ。
それでも、想うことをやめることなんてできなかった。
俺は、実の兄を慕っていた。恋心を懐いていた。愛して、いた。
その事実を未だ口にしたことはなかったけれど、たった一回だけ。
飼い猫のジェリーには、話したことがあった。

なあジェリー、俺の内緒話、聞いて。
あのね、俺、兄ちゃんのこと、好きなんだ。
絶対言うなよ、約束だからな、ジェリー

ジェリーは、にゃおんと一言鳴いて、うれしそうに目を細めていた。
それはまるで、俺のことを祝福してくれているようで、少し心の中の罪悪感が薄れた。
許されたような気が、していたんだ。
だから、この思いはきっと一生言わないでおこうと、この日心に誓った。
これでいいのだと、袋小路にはまったのだとしても、良いのだと
この思いをずっと抱えて生きていこうと、想った。
許してもらえたから、きっとずっと、兄貴を想って生きていこうと想ったんだ。
始まらない代わりに、終わりもしない俺の恋心は、きっともう誰にも言わない。
たった一匹、ジェリーしか知らない、俺の秘密。


作品名:ジェリーの秘密 作家名:さくらいとつち