今日の私のラブレター
いつまで「あなたが好き」という気持ちを持ち続けられるのだろう。
赤い豆電球が照らすセミダブルで足と足をからめながら「お前の足、冷たいな」と笑って、それでも離れようとしないあなたに、冷え性の私は胸が熱くなる。
私がおばさんになっても、という歌をカラオケで聞いた事がある。とても他人事とは思えなかった。いつまであなたは私を抱きしめてくれるのだろう。抱きしめる強い力に少し苦しさを覚える、その幸せを私はいつまで味わえるのだろう。
そう遠くない未来、明日かもしれないし、今夜かもしれない。抱きしめる力が弱い事に私は気づくのだろう。気づきながら知らないフリをするのだろう。
「行ってきます」
「行ってきます」
玄関前でする朝の抱擁。ドアを開ければ、部屋に冷たい風が入り込んでくる。かすかに残るあなたの体温すらも奪い去っていき、私は社会人になる。
高齢化社会とは言ったもので田舎でも都会でも老人を見かける。あの老夫婦は強く抱きしめあうのだろうか。想像もつかない。
会社の上司は、奥さんと足をからめて笑うのだろうか。ちょっと想像したくない。
帰り道でスーパーに寄って晩ご飯の買い物をする。あの人もたまに作ってくれるけど、カレーと丼しか作れないからいつも似た感じになる。それをからかうとちょっとスネる。その背中がたまらなくかわいい。きっとこの人の子供も同じようにスネるのだろう。そう思うと胸がとても温かくて、少し冷たい風が入り込む。
きっと私が冷え性なのは、この胸に空いた小さな穴から冷たい風が入り込むからだろう。この穴が埋まる日は来るのだろうか。その穴を埋めてくれるのが、あなたであって欲しいけど、あなたは埋めてくれるだろうか。
私は小さなゲームの画面を見つめる。私の名前のついたキャラクターは少しどんくさい。ゲームの中のあなたは大きな剣を振り回して、巨大なモンスターを斬りつける。私もがんばって斬りつける。
たまにあなたの剣に巻き込まれて、モンスターと一緒に吹き飛ばされる。
「わっ! ごめん!」
慌てたように言いながら、それでもゲームに夢中のあなたがかわいくてかわいくてかわいい。味方からの攻撃はダメージなし。
「痛くないからいいよ」
痛くないの。
今夜も豆電球だけ残す。少しだけ怖い。
いつか、体を起こすあなたがため息をつくのが怖い。いつか私からではなく、あなたから「今夜はちょっと」と言われるのが怖い。その未来は遠くない。
その時がくれば、私は諦めるだろうか。諦められるのだろうか。
「そう、じゃ仕方ないね」と精一杯のくちづけをして、眠る事が出来るのだろうか。
いっそ今日、今夜、今この瞬間にその時がきてくれればいい、とさえ思う。今夜なら、きっとあなたが眠るまで震える瞳を我慢できるだろう。明日はもう分からない。
その私の瞳に気づけば、あなたは傷つくだろう。そして傷つくあなた自身にあなたは背を向けて眠るだろう。
その強さに、寂しい背中に私はまた恋をするのだ。スネる背中を見たときと同じように、胸に少しの冷たい風を感じて、それ以上にこみ上げる温かさをこらえきれずに声を殺して、息を殺して、気持ちさえ殺して、私は瞳を閉じるのだ。
もう今夜はこらえきれそうにない。強く抱きしめてほしい。
あなたの腕に力が込められて、胸ごと肺が押しつぶされて息が苦しくなる。ありがとう。今夜も苦しい。ありがとう。
朝起きて、あなたの寝顔を見ると髪の匂いを確かめる。シャンプーもリンスも違うのに不思議と私と同じ匂いになる。私のしるしをあなたにつけたのか、あなたのしるしが私についたのか。
私たちのしるしは今日もテーブルをはさんで、コーヒーの香りで離れ離れになる。けれど私は知っている。私たちのしるし。
狭い台所で洗い物をしてると、あなたが後ろを通りすぎる。狭い部屋でペアダンスも悪くないけど、もう少し広い部屋がいい。そうすれば私はもっとキレイに回ってあなたと呼吸を合わせるの。
玄関前の「行ってきます」が『儀式』になりませんように。いつもと同じがいいけど、いつも同じじゃ嫌なの。
電車に乗り込むと周りは赤、青、黄色の女性がいっぱい。きっとこの中の半分ぐらいは一人で起きて、一人で眠るのだろう。私もそうしていたはずだけど、もう覚えていない。一人でどうやって生きていたのか分からない。あなたのいない部屋で何をして過ごしていたのか。それすらよく覚えていない。
「親子丼を食べました。お腹いっぱいになったのでしばらく親子丼は結構です」
「そうか、じゃあ今夜は親子丼な」
昼休みに意地悪な絵文字付きのメールを交わす。返事を書きながら、ふと子供の頃、母親に「晩ご飯なに?」と毎日聞いていた事を思い出した。書きかけの返事を全部消して、書き直した。
「うん。楽しみにしてる」
これでいい。ママになるにはもうちょっと早い。
二人でスーパーに寄る。晩ご飯の準備は彼に任せて、私はちょっと他の棚へ寄り道の旅に出る。狭いスーパー、そんなに急いでどこへ行く。
「やっぱり、ここにいた」
お菓子を手にとって確かめていると割とすぐ見つかってしまった。彼の持つカゴにさりげなくお菓子を入れる。
「あ、これって」
以前、私が買って帰った時、彼がおいしいと呟いたお菓子だ。私の耳と記憶力を甘く見てもらっては困る。得意げにしていたら、カゴの中に私の好きなお菓子も入っていた。おみそれいたしました。
あなたの作った親子丼は少し醤油がきつかった。私がお茶でごまかしながら食べてるのに気づいて、あなたはムキになってがっついて、ムセた。湯飲みを差し出しながら、あなたの背中をさする。ねえ、こんなに好きなの。気づいてる?
ハネムーン。蜜月。結婚してからの一ヶ月間をそう呼ぶ。それじゃあ、この幸せも結婚してしまえば1ヶ月で終わってしまうのだろうか。どうすればもっと長く、もっと強く続くのだろう。
休日の朝、あなたの髪の匂いを嗅いで、あなたの寝息をBGMに一人でトーストをかじる。食べ終わってもあなたが起きないから、少しだけ散歩に出かける。いつもより少しだけ手抜きだ。
子供達が遊ぶ姿を横目に公園のベンチに座る。隣のベンチに老夫婦がいた。孫のお守りで来たのかな。旦那さんが小さく何かつぶやくと、夫人が小さなバッグからペットボトルのお茶を取り出して手渡した。
旦那さんは口にペットボトルをそえると、グイッと勢い良く飲み込む。年に似合わない飲み方に危なっかしさを感じた時にはすでに遅く、旦那さんはムセていた。
「あらあら。言わんこっちゃない」
夫人は言いながらハンカチを取り出して旦那さんに渡し、背中をさすっていた。旦那さんはケホンカホンと乾いた咳をしていた。夫人は繰り返し背中をさすっていた。
しばらくして落ち着きを取り戻した旦那さんは照れ笑いを浮かべながら、ゆっくりお茶を飲んだ。
そう。そうだったんだ。
恋に可能性というものがあるのなら。
どうか、いつまでも恋をさせてください。
あなたの笑顔を、スネた背中を、ムセた咳を、抱きしめる強さも、からませた足の温かさも、ずっとずっと私は覚えている。
だからどうか、今日の私を覚えていてください。
作品名:今日の私のラブレター 作家名:和家