TheEndlessNights(2)
4/01/Day
「父と兄が、死んだ?」
「そうだ」
高校三年の新学期を迎える、春の朝の事だった。
その日の風は、季節にしてはとても冷たく、訪れている陽気を拒む様に刃の様に肌を指すそれを強く振り回していた。
制服に袖を通し、休暇を終え、久方ぶりの学び舎へ足を運ぼうとした矢先の事だった。
家政婦に呼ばれ、祖父の元へ通された三笠晴樹は、唐突に故あって遠征していた、父であり現三笠家の当主、青嵐(せいらん)と兄であり後継者であった、鐵雨(きみさめ)の訃報を聞かされる事となった。
「欧州の連中から連絡があった、部隊は全滅だそうだ」
「馬鹿な…」
その部屋に祖父の姿は無い。あるのは影のみだった。
十畳程の畳の部屋の中ほどから区切るように簾で隠された部屋。
その向こうから簾に浮かび上がる影と声だけが晴樹の下へと届いていた。
特殊な状況であるが晴樹にとっては疑問にさえ思わない至極当然の事だった。
既に当主の座を青嵐に譲り渡した前当主の祖父、三笠雷蒼(みかさらいそう)は隠居の身。
特殊な家系である三笠の血筋はその先祖から短命の性を背負っていた。
いや、三笠の血筋に限らず、退魔に関わる存在には当然といえる事なのかもしれない。
『三種』と呼ばれるこの関東の一角は現在ベッドタウンとして機能している地だ。
この地域は古来より聖域と呼ばれる場所や神秘の伝承が多く存在する静かな土地だ。
そして、その静寂を守り続けてきた存在こそが、他ならぬ退魔家系、三笠家なのだった。
ある種の『力場』や『神秘』の類は、似たような存在。つまりは魔物をも寄せやすい。
そして、そこを抑え続ける事こそが、この地域の人々の平和を守る事こそが、総じて多くの人々の命の安寧に繋がる。人の発展に繋がる。
そうした使命を一族に科し、誇りと共に脈々と受け継いできたのが三笠という一族の血統だった。
だから、特に。と言うべきだろう。
常在戦場。いつ何時、現れるか分からない、人間以上の存在と対峙し、精神と命を削り続ける。
時には戦場でその命を落とす事も決して珍しい事ではない。
そういった理由から、性というよりは宿命に近い。
理由を同じくして、祖父雷蒼の身体は既に限界を迎えていると、ふと疑問を口にした晴樹は幼少の折、父から話をされた事があった。
退魔の家系にしては高齢の祖父は、幾千幾度の修羅場を生き抜いてきた非常に優れた退魔師であることに疑いの余地は無い。
だが、その無敵とも思われた退魔師もやはり人から生まれた人間。
数多の敵から受け続けた傷、極度に酷使され続け疲弊した肉体、一時も休まる事のない神経、削られ続ける精神。
気づいた時には既に祖父の体は崩壊を始めていたのだと言う。
いや、彼だったからここまで保った、と言う方が正しい程の状態だった。
そうして、隠居した雷蒼は今の状態で人と接するようになった。
現在の自身の有様を身内にさえ晒したくない。
使命に生き抜いた男の哀しいほどの誇りと自尊心。
晴樹はこの話を聞いて以来、一切の疑問を口にはしていない。そして抱かない。
彼の生き方、生き様、それを汚す権利はたとえ身内とて持たないと思ったからだった。
だから、晴樹は自身の祖父の事は声意外何も知らない。
過去も、容姿も、そして、自身が生まれ出でたときには既に亡くなっていた祖母の事も。
それで良いと。晴樹は思っていた。自分の瑣末な感情論などでこの人の事を量るなんて出来はしない。
しかし、この時ばかりは少し違っていた。僅かな疑問、いや、違和感に近いかもしれない。
「欧州の連中は他の部隊を編成して既に差し向けたようだ、既にこの案件は我らの手を離れた。ただ、それだけ伝えたかっただけだ。行っていいぞ」
雷蒼の声だけが再び晴樹の元に届いた。
それだけ。それだけか。そうだ、自分たちの家系にとって訃報など珍しい事ではない。
だが、実の息子と孫の死を。それだけと。
まるで動揺の色を含まない、事実だけを述べる声色。しわがれた血の気の無い声色。
使命の為に人形のように感情を殺す、自分と同じような声色。
祖父も、殺しているのだろうか。それとも、もう死んでいるのだろうか。
真意は薄い簾一枚に厚く隠され、霞を掻く程にも手に取れない。
だから、晴樹は殺しきれなかった感情を口から逃がしてしまう。
「父と兄の遺体は、いつ御戻りになるのでしょうか?」
「戻らぬ」
「と、申しますと?」
「青嵐、鐵雨を含め。全滅した部隊に参加した人間の死体は一体も発見出来ていない」
「では…」
全員が行方知れずになっている疑問はあるが、それならば生存の可能性はゼロではないはずだ。そう言いかけて、晴樹は口を噤んだ。
ある筈無いのだ、根拠の無い訃報など。
祖父は欧州の連中と言ったが、恐らく、部外者である人間の報告を鵜呑みにするはずも無い。
自分の耳に入った時点で、既に我々の側の人間を使って裏を取ったと言う事だろう。
そう、紛れも無く自分の家族は死んだのだ。
「解りました。学校に行って参ります祖父上」
自覚と同時に認識の言葉を口にした。
これではまるで言い訳の様だと、晴樹は思う。
何に対してか、それはもちろん、自分自身に対してだ。
簾を前に畳の上で折り畳んでいた足を伸ばす。頭に上った血が窮屈だった足へ降りていくと同時に、晴樹は自身を嘲笑した。
「晴樹よ」
踵を返し、部屋を出ようとしたおり、不意な祖父の声に静止する。その声は相変わらず、感情どころか考えさえ窺わせはしない。
だが一つだけ解る。先の自身の感情の機微を見抜かれていた事だけは何故か確信した。
「はい、なんでしょうか祖父上」
「本日より『雅時』はお前が継ぐ」
『雅時』とはこの三笠家の祖の名であり、同時に当主が代々襲名してきた証の名であった。
これは、晴樹にとって少し意外な事であった。
現在の『雅時』は父、青嵐が継いでいた。それが正式に引き継がれる以前に死亡が確認され、更には後継者までも同時に失ったとあれば、当然、先代である雷蒼に返還されるものだと晴樹は思っていたからだ。
「晴樹、いや、当主雅時。この名の意味、理解しているな」
「……心得ております」
雅時は三笠の開祖。完全にして単一の退魔の始祖。
遥か一千年の古来にてあらゆる妖魔を払い、人を守護した、初めての人間。
人の身にして森羅の化身であり、万象の象徴。その名の意味。
逡巡の後の返答。迷いは明確であり、それは晴樹自身も雷蒼も理解を共有する所であった。
だが、雷蒼の言葉に嘘偽り、果ては迷いは、遂に晴樹が部屋を立ち去るまで微塵も現れる事はなかった。
迷いが明確である様に、その迷いの種もまた明確に存在した。
自分は、父にも。何より兄にも遠く及ばない。
特殊な家系故に正式な分家も持たない三笠の家。
祖父があの様子であるため、幼い頃に母を病で亡くした晴樹に親類と呼べる人は父と兄しか居なかった。
厳しく逞しかった父、優秀で聡明だった兄。その人達はもう居ない。
遺体を見れなかったからか、雅時襲名の重圧からか、はたまた幼い頃からの過酷な精神訓練の賜物か。
いや、覚悟をしていたからだ。祖父も父も兄も、そして自分も。
涙は出ない、悲しみに押しやられる事もない、そして、喪失に心を蝕ませたりもしない。
何故なら、それが三笠だからだろう。それが誇りだからだろう。
作品名:TheEndlessNights(2) 作家名:卯木尺三