緑の並木道
卒業してから一年経った今でも、たまにそいつの事を思い出していた。
『緑の並木道』
カラッとした温かい午後。これから梅雨が来るなんて信じられないくらいの五月晴れ。陽気な気分にまかせて少し遠回りして、中学の時から大好きだった緑の覆い茂る並木道を通って帰る。爽やかな風が頬をなでた。
しかし今、私の体は前に進む事を強烈に拒んだ。何故なら私の目は間違いなく奴の姿を捕えているからだ。あの生意気な後輩、三澤葉流(ミサワ・ハル)の姿を。奴はちょうど知らない女の子と抱き合っている最中だったため、私は思わず八ッとなって自分の姿を木の幹に隠した。
乾いた風が静かに吹く中私は手に汗を握りながらじっとその様子をただ見つめていた。
二人はそれから二、三言言葉を話すと女の子は笑顔で奴に手を振り去っていった。そいつはその場で軽く手を動かし彼女に答えていた。それからクルリと方向転換をするとそいつはこっちに向かって歩きだした。
ボーッとしていた私はひどく驚いたが逃げるタイミングを失い、そこから離れる事が出来なかった。奴はどんどんこっちに向かってきて、ついに目が合ってしまった。
「何してんの?永瀬琴美(ナガセ・コトミ)先輩だよね?」
奴は正面から私の目を見据えた。少々だらしなく着こなした制服と相変わらず整った顔。白雪のような肌の、透き通る頬。薄紅色の唇が生意気な笑を浮かべている。私は我を忘れ、まるでこの世のものとは思えないほど美しい少年に見とれてた。それからのん気に奴が私のフルネームを覚えていた事を意外と感じ内心少し喜んでいた。
「何してんの?」と言うとても答え難い問いをどうやって誤魔化そうか考えていた。それを邪魔するかのようにさっきの二人の姿が頭から離れなかった。
「…先輩、顔赤いけどどうしたの?」
そう言って何かおもしろいものでも見つけたような楽しそうな顔で私の顔を覗き込む。
「…何でもない。相変わらずよくやるね。さっきの彼女?」
顔に熱がこもっていくのは自覚していた。体温の上昇を抑えることも出来ずに少しずつ脈が早まっていく。中学の時もそうだった。奴の前では、自由がきかない。
「なんだ、さっきの見てたの。先輩ってさ、純なんだね」
「な、そんな事」
思わず口がすべった。奴はべつに、怒る様子は見せなかった。ただ久しぶりに見る冷たく冷めたような目をした。
「純だよ。だってキスなんか挨拶でしょ?」
「なんて事言うの彼女可哀想じゃん」
「さっきのは別に彼女じゃないから、可哀想じゃないや」
実は私はキスシーンを目撃してしまったらしい。そのキスまでした相手を奴ははっきり、彼女ではないと言い切った。それから奴はさっきの冷たい目をしまい、私の方を見た。
「じゃあね、琴美先輩」
無邪気な笑顔を向け、私に手を振った。この姿だけを見ているとまるで天使のようだ。
私はただ奴に見下されたような気がして、下唇を噛み締め、密に拳を強く握っていた。ふと、奴が私の方に振り返った。
「ねぇ先輩、また会えるといいね。俺達♪」
ふいに奴は振り向き、思ってもみない所で笑顔を見せるせいで単純な私はその一瞬で下唇を噛むのを止め、強く握った拳を解いていた。
目の前が一瞬真っ暗になった気がした。中学時代のなまいきな少年は、高校
に入りとんだ悪になってしまったようだ。