踏み切り
君はいわゆるごく普通の平均的な人で、ずば抜けて秀でたものなどあるはずもない。全国を飛び回らなくとも君のような人はいくらでも見つかってしまうだろう。
だけど僕が君を目で追ってしまうのはきっと、君だけの特別を見つけてしまったから。
《踏み切り》
「っつーかありえないんだけど。マジむかつくし。何様なの」
「…はぁ」
高校からの帰り道を僕達は長くもなければ短くもない微妙な距離を自転車を押しながら歩く。さっきからずっとこの調子で怒り炸裂している奴とは…ただの、友達。
「お前、ほんとう体力あるよな。校舎でてからこの坂道にもめげずにずっと喋ってるじゃん」
「今はそんな話してないし!…鈴木って意本当マイペースだよね」
「高橋に言われたくないんだけど」
ふくれっ面して怒ったかと思えば忍び笑いが聞こえてくる。喜怒哀楽が激しい鈴木はくるくると目まぐるしく表情が変わる。教室の中で、校舎で、たまにこうした帰り道でその表情を盗み見るのは退屈しない。
「私…高橋となら普通に話せるのになぁ」
ふと足を止めて大きなため息をついた鈴木が思うのはいつも決まってあいつ。毎日飽きもせずに愚痴を言うくせに鈴木は相当彼氏が好きらしい。授業が終わってから始めたメイクも何度もセットを直すストレートの髪も授業中にも整えた爪も、愚痴るくせに赤く染まる頬も全部あいつのもの。いつもの聞き慣れた言葉が今更気に入らなくて内心実はむかついてる。
それでもなんでもないふりして、くだらない愚痴に何度でも相槌をうつ。小さな幸せが無くなってしまわないように。
「仕方ねぇよ。そいつ、彼氏なんだろ」
「そりゃあそうだけど…あいつまじむかつくんだから…」
ここからまたいつもの愚痴オンパレードが続く。坂道を登っても呼吸ひとつ乱れることなく鈴木の愚痴は続く。女って本当すごいと思う。
とまらない愚痴を聞くうちに踏み切りまでやってきた。踏み切りを渡る鈴木はピタッと自転車を止めて振り返った。
「私…あんなやつなんかより、高橋と付き合ってれば良かったのかもね」
「なんちゃって」と照れ笑いをする鈴木に思わずフリーズしてしまった。今この瞬間、この気持ちを言葉にしたら伝わるんだろうか。
そうすれば鈴木は愚痴りながらも僕を思ってくれるのだろうか。放課後にメイクをして、髪をセットしながら僕を考えてくれるのだろうか。こっそり授業中に爪でも整えながら。
「…鈴木ぃ!」
夢中になって叫んだ言葉は踏み切りをとおる電車の音で届く前にあっさりかき消された。
電車が通り過ぎた踏切の向こうで鈴木がいつものように笑って僕に手を振っていた。
「高橋ぃ、話聞いてくれてありがとね」
当たり前に何も変わらない鈴木に拍子抜けしながらなんとか手を振り返してため息をついた。
明日もきっと何も変わらない一日が始まる。
鈴木はため息をついて爪を整えながらあいつへの不満を口にする。無防備にメイクをして髪をセットしながらどれだけあいつが大事か教え込む。それも良いかと思った。僕はうんざりしながらそれを聞いて本当は喜んでる。君がその愚痴を僕にしか言えないことを知っているから。そ~ゆ~のも悪くないかと思って自転車にまたがり、思い切りペダルをこいだら爽やかな風と澄んだ青空が妙に胸に染みた。