人間失格のお知らせ
聞いた途端、それが私の為の謝罪ではないことに気がついた。彼女から零れ出た涙は、「ごめんなさい」という言葉は、「わたしをゆるして」という懇願だ。それが判った瞬間に、私のなかでようやく鎮火しかけていた憎悪にも似た怒りが渦を巻いて燃え上がるのを、茫洋とした意識の隅で感じ取った。
いつまで経っても口を開かず、それどころか身動きひとつしない私にますます不安が募ったのか、彼女は涙の粒をさらに大きくして、嗚咽ももらさず怯えるように私の応えを窺っている。
その綺麗な綺麗な涙を見、かわいそう、と思う。彼女は自分が私に対して懇願していることすら判っていないのだ。もっとも、そうやって相手を見下すことでしか自分を護れない私のほうがほっぽどかわいそうな人間だというのも識っているけれど。
彼女が、彼女自身も与り知らぬところでとてもかわいそうな人間なのだと、そしてそれを私しか理解していないのだとおもったら、なんだか世界一やさしくなれるような気がした。腹の底で荒れ狂う憎悪を飼い殺しながらも、だから私は微笑うことができた。その微笑は彼女の恐怖感を取り払うのに充分な穏やかさを帯びていたらしく、強張った線のほそい身体はゆるやかに弛緩した。自然、いっそう笑みが深くなる。外側の人間からいま私は微笑っているのだろう。けれども私だけが、それが無意識の嘲笑だと識っている。
「私こそ、ごめんね」
言いながら、泣きやまない幼子をあやすように彼女を抱きしめて背を撫でた。いったい何に対しての謝罪なのだろう。わからない。だって髪の毛の一本ほども、私は罪悪感など感じていないのだから。
それでも彼女は救われたような安堵の声で「ありがとう」と何度もつぶやいた。そのあいだ私は心のなかでずっと呪詛を吐き続けた。
これは裏切りだ。彼女は私に赦されたと思い込んで、私のことをきっとやさしい人間だと勘違いして生きていくのだろう。その実、笑顔の裏で呪われているとも知らず。私はこれからの人生、いつだって好きなときに彼女を傷つけることができるのだ。「ほんとうはずっと憎んでいたのよ」と、信じた人間に裏切られるのだ。その日のためなら私は彼女に何だってしてあげられる。心にもないことを言って喜ばせ、望みを叶えてあげるだろう。
私はこの日、天使の笑みを得た代わり、悪魔に成り下がったのだ。