名探偵はお嫌いですか?
「だ、だめです。犯罪など、犯してはいけません」
「でも、その犯罪のおかげで、あんたは口に糊してる」
「う……」
そう、名探偵というものは、犯罪なくして成立し得ない。だからこその名探偵であり、彼らには本来、犯罪を犯すべきではないなどと言う、正統なる理由の持ち合わせはない。そういう意味で、私は名探偵という生き物を微妙な存在と考える。
目の前で慌てる名探偵は、そういう矛盾に気がついていないのだろうか。――それはそれで面白いけれど。
「け、警察……と言っても、まだ犯罪が行われていないのに呼んだって仕方ないし……」
「良いから、そこを退け。私が殺人事件を犯した後で、あんたがそれを解決するなりすれば良いだろう」
「い、いや。そういうわけには行きませんよ。仮にも名探偵を名乗る私が、これから犯人になろうとする人間を、見逃すわけにはいきません」
「でも、私はまだ何もしていない」
「うう」
「まだ起こっていない殺人事件を、あんたはどう解決するつもりだ」
「うううう」
困りきった覆水を避けて、私は歩き出す。――もうこれ以上、この男は私を楽しませてくれそうにない。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、先永美寿寿(さきなが みすず)さん」
「…………」
私は、言われたとおりに立ち止まった。
「ああ、良かった。思いとどまってくれましたか」
「何故私の名前を知っている」
「え? ああ、いや、だって私、名探偵ですから」
「…………」
決して理由になりえない理由を口にして、覆水は笑う。
「しかし、どうにも福のありそうな名前ですよね。すごく長生きしそうです」
「黙れ。私は今から、私にその名前をつけた男を殺しに行くんだ」
「ってことは、叔父さんの先永遠(とおる)さんを殺すおつもりですか」
私が黙っていると、覆水は快活に言う。
「止めた方が良いですよ。先永遠氏なら、もうすぐ放っといても病気でお亡くなりになりますから」
「それはどういう意味だ」
私は驚いて、覆水に詰め寄る。
「言葉通りの意味です。先永遠氏は、末期の肺がんですよ」
「な……」
私は絶句し、覆水は微笑する。
「ですから、わざわざ殺す必要もありません」
「あの遠叔父が、肺がんだって? 私はそんなこと、知らないぞ」
憤る私に、覆水は余裕の態度で(未だ顔には涙や鼻水の跡、加えて名刺の残骸が張り付いているが)、言った。
「そりゃあ、そんな弱みを先永遠氏が他人に言うわけはないでしょう」
「……それじゃああんたはどうしてそれを」
「私が名探偵だからですよ」
答えになっていない。
「しかし、あの遠叔父が肺がんだと? あのいやらしい金持ちの腐れぼんぼんが、病気でもうすぐ死んでしまうだと?」
「ええ。本人がそう言ってましたからね」
「本人が? ……それはどういうことだ」
私が睨むと、覆水は「しまった」という表情をし、そっぽを向いた。だが、それで追求の手を緩める私ではない。
「おい、名探偵覆水再起。お前、遠叔父を知っているんだな」
「…………」
そっぽを向きっぱなしの覆水の腹に、思いっきり拳を叩き込む。
「あいててて。か弱そうに見えて、なかなか力はあるんですね」
言いながら、覆水はこちらに向き直った。
「良いから、さっさと答えろ。返答しだいでは、殺人を思いとどまってやっても良いぞ」
「本当ですか」
覆水は嬉々として、顔をほころばせた。
「じゃあ言いますけど。実は私、先永遠氏からある依頼を受けていましてね。その際に、病気のこともお聞きしたんですよ」
「なに。依頼だと?」
「ええ。まあ、勿論部外者のあなたに教えて差し上げる義務はありませんが。でも、これであなたは殺人など犯す必要はない。……良かったですね」
「良いも悪いもあるか」
私はもう一度、覆水の腹に拳を入れる。
「あいたたた。何するんですか」
「その依頼というのは、どういうものだったんだ。それを教えてもらわねば、腹の虫が収まらない」
「腹の虫って何です? サナダ虫のことですか? あいたたたた」
私は覆水の髪の毛を引っ張り、答えを強要する。覆水はしばらくもんどりうっていたが、やがて目に一杯涙を溜めながら、言った。
「分かりました分かりました。教えます、教えて差し上げますから、手を放してください」
私は無言で、手を放す。
作品名:名探偵はお嫌いですか? 作家名:tei