BSS16-1 いろはにほへと
論理がなくては物事が成り立たないとおっしゃるならば、この世の融通というものはいったい何でありましょうか。あれには論理のいっぺんも存在した試しがないではありませんか。あなたがいっていることは、正論のように聞こえて、その実、空虚なこと。まったく意味をなさないというわけです。
春がくれば桜が咲き、夏には緑の草木がまぶしく、それは秋に紅葉(黄葉)して、冬には枯れて雪が積もる、それを昔からあなた方の一族は人生に当てはめました。冬になり老いた体は朽ちて、新しい春の息吹を告げる…確かに聞こえはいいでしょう。ですが、それでは冬の立場というものがありませんね。春も、夏も、秋も楽しいように、冬もまた、楽しむことができる。子供は雪だるまを作って遊んでいるではないですか。その雪のために受験生はセンターにたどり着けず、車も電車も立ち往生しているなど子供は全く気にもかけていません。結局、視点が違えば何でも違って見えるのですよ。
匂いのいい、かぐわしいものも結局一過性ではないか、そうおっしゃることもわからなくもないですが、その一過性の匂いをかいでなにが悪いのでしょうか。無情に思うだけ思って、その匂いにけちを付けるその態度が気に入りません。女子どもは若いうちが花である、別にそれでもいいじゃないですか。少なくとも花のないところを強いられる男より数倍ましというものですよ。
本当に、本当に無情を感じるのですか。無情ばかり感じてしまっている、というわけではないでしょう。その一瞬の享楽をどう受け取れるか、それが人生という壮大なテストでございましょうよ。あなたはただ楽しむことから逃げている。怖いのです。楽しむことにはいつもくろうがついて回るから。あなたはいやなのです。動くのが。面倒が。だからあなたは自分の殻から出たがらない。あなたは同じです。マンションの一室に遮光カーテンをつけた引きこもりと。あなたは同じです。四六時中パソコンの前にいる彼らと。彼らをバカにするのはあなたの感情ですが、それは実は、自分で自分自身をバカにしている、と同義であると気づいた方がよろしいか、と思います。
変なことをいっているでしょうか?私はあなたの、その原因不明の怠惰な閉塞的無情感に、そしてまた、極端な厭世感にメスを入れてみたいと思います。もしよければ、一度こちらにお越しください。おいしいお茶菓子を用意してお待ちしますよ。あなたが来てくださるなら、電話をいただけるとうれしいと思います。昔恋仲であったではありませんか。またあってお話をすることを私は楽しみにさせていただきます。
遠い道のりを来い、というのも全く申し訳ない気もしますが、私は今この地を動くことができない状態にあることはご存じでしょうから、こうしてただただ文面上でその誘いをさせていただくことをどうぞお許しくださいませ。
作品名:BSS16-1 いろはにほへと 作家名:フレンドボーイ42