におい
"違う"匂いに宥められた気がして、返事の深い息を吐く。1人になった空間に、安堵した息はひどく響いた。
ついさっきまでいた恋人は、いつも通り楽しむだけ楽しむとさっさと帰り、部屋にはその残り香だけが蔓延していた。恋人は自分と違って、忙しいのだ。たぶん。
そこで何がどう忙しいのか想像してしまって、すぐ様手元のタオルに顔を突っ込んだ。 再び鼻孔に広がる匂いが自戒を強め、目を瞑る。
耳を澄ませば空気清浄機の低く唸る声が、部屋の隅々まで這っていた。
『何で空気清浄機こんな大きいの買ったの?』
『別に、大きい方がいいと思ったからだ』
ふうん、と自分から聞いてきたくせに至極興味なさそうな返事をすると、まだ清浄機を見ていた自分の不意を突くように相手は動きを速めていた。
或いは最初からそのつもりだったのかもしれない。彼の常套パターンで、誰に対しても、そうするような。
扁桃に"違う"臭気分子が次々と送られてくるのを意識しながら、深く溜息を吐いて回想を打ち消す。タオルで邪魔をしてるのに、思い切り息を吸ったせいで頭が痛い。
でもやめられないのだ。こんな頭痛さえ予期してるのに、自分は彼の匂いが嫌いなのに、やめられない。
蔓延をやめない匂いは、それを許した自分の匂いを嗅がないと生きてはいけぬ、毒ガスのように思えてきて、口にあてていたタオルをぎゅううっと握る。
そこら中からあいつの匂いが漂って目眩がする。やめてくれ。
こんなに大きいのを買ったのに、空気清浄機は素早く作動してくれない。