人間屑シリーズ
足掻く者と嗤う者
池垣と接触してから五日目の昼。
崎村カオリから契約を破棄したいという内容のメールが届いた。
私とクロはお互いの顔を見つめあったまま、ほくそ笑んだ。
「やったね、クロ」
「ああ、池垣とかいう教師。あいつが上手くやったみたいだね」
全く……他人にどうこうされて揺らぐ程度の決心なら、最初から死にたいなんていうべきじゃない。私は……死にたいなんて簡単に思えない。
「それで、どうするの?」
「百万でヒントを買わせるよ」
そう言いながらもクロは素早くメールを打っている。
「乗るかな?」
「乗せてみせるさ」
クロは余裕だった。
数分後、ヒントを買うという内容のメールが届いた。
契約書を渡すという名分のもと住所を聞き出すと、クロはクローゼットから契約書一式を入れた封筒と、あの馬鹿げたスイッチを取り出した。
「シロ。すまないが、この契約書を崎村カオリの自宅のポストへと入れてきてくれないか」
「分かった」
時刻は午後十二時を少し回ったところだった。今日は天気も良く、とてもではないがクロが歩き回れる状態ではない。
私は契約書の入った封筒をクロから受け取ると、崎村の自宅を地図で調べた。
「このマンションなら……ここから近いし、四十分もあれば帰ってこれると思う」
「うん、任せたよ。今から二十数分の間、メールの方に注意を引きつけておくから」
「お願い」
クロと会話しながらも私は玄関へと向かい、靴を履く。
「じゃあ、行ってきます」
「ああ、行ってらっしゃい」
行ってきます、なんて言葉にしたの久しぶりだな。そんな事にも幸せを感じながら、軽い足取りで崎村カオリのマンションへと向かった。
*
崎村カオリの住むマンションは、茶色い十五階建ての少しばかり高級そうなマンションだった。
私がマンションの敷地内に足を踏み入れると、管理人室にいた恐らくはこのマンションの管理人であろうお爺さんが、品定めをするかのように私をじろりと見てきた。
「こんにちは」
私が努めて明るく爽やかに挨拶をすると、管理人のお爺さんは何やら納得した様子で、特に声をかけてきたりはしなかった。
不審がられていない事に、内心ホッとしながら崎村カオリのメールポストを探す。
住所がすっかり分かっているので、三十以上もあるメールポストの中からでも崎村のものはすぐに見つける事が出来た。
トスンという音を立てて、封筒はメールポストの中へと納まる。それ以上の用もないので、管理人室のお爺さんに「さようなら」と再び明るく挨拶をして、マンションの敷地外へと出た。
太陽が眩しい。
もう十一月に入ったというのに、太陽の光はなお強い。
太陽を見ていると、より一層クロの事を思った。
クロ。ねぇ、クロ。
私があなたに足りないものは全部全部――補うから。
だからあなたは……私をどうか狂わせて。
降り注ぐ温かな、けれどクロにとっては忌々しい光に包まれながら歩みを進め、私はクロへとメールを打つ。
『崎村のメールポストに契約書入れたよ』
クロからはすぐに返事がきた。
『了解。こっちも崎村を釣り上げてみせる。気を付けて帰っておいで』
気を付けて帰っておいで……そんな風にママやパパに言われていたのはいつまでだったろう。今のあの人達は、私がこうしてクロの家に入り浸っているのも気付かない。いや気付いているのかもしれないけれど、自分達の狂気に追われて私にまで興味がうつる事は無い。
クロの優しさが嬉しいはずなのに、胸の奥のどこか……例えるなら内臓の裏側あたりがザワザワとざわめいて落ち着かない。
寂しい……その感情が頭をもたげそうになる。
私は一度、大きく息を吐く。
……大丈夫。クロが私を狂わせてくれる。そうすれば――――そうすればもう、寂しくなんてないんだから。