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深川ひろみ
深川ひろみ
novelistID. 14507
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小説 ティベリウス -ローマ帝国 孤高の守護神-

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第一章 父の帰還(1) -重大発表-



「ドゥルースス」
 従兄のゲルマニクスに突(つつ)かれて、ドゥルーススは回想から覚めた。
「どうした、深刻な顔をして」
 尋ねるというよりも、どこかからかうような口調だ。父がローマを去ってからの七年間、兄弟同然に育ってきたこの従兄は十五歳で、十三歳になったドゥルーススとは二歳しか違わない。だが快活で機知に富むゲルマニクスは、よくこの「弟分」に対してそんな話し方をした。
「ノロケを聞く顔じゃないぞ」
 ドゥルーススは苦笑する。
「楽しみだな」
「本気か? 恒例行事だぜ」
 ゲルマニクスは悪戯っぽい眸で笑う。
 今日はローマの最高権力者アウグストゥスとその愛妻リウィアとの、三十五回目の結婚記念日なのだ。身内だけのごく内輪の宴で、明るい緑を基調にした果樹園の絵が一面に描かれた中食堂に、料理が並んだ一つの長テーブルと、それを囲む寝椅子とが設えられている。一つの寝椅子に三人で臥して食べるのがローマ流だ。
 ドゥルーススはそのうちの一つに、ゲルマニクスを真ん中に、二歳年少の従妹リウィッラと共に臥していた。「身内」とはいっても、ドゥルーススの父はアウグストゥスの妻の連れ子だから、ドゥルーススはこの最高権力者の血縁ではない。だが、アウグストゥスはドゥルーススを家族の一員として遇してくれていた。
 父がローマを去った時、ドゥルーススは六歳だった。父はドゥルーススの実母とは既に別れていたし、後妻との関係もうまくいっていなかった。結局、ドゥルーススには義叔母にあたるアントニアがドゥルーススの養育を引きうけ、三人の実子と共に育ててくれたのだ。
 やがて宴席の準備が整い、アウグストゥスの柔らかい声が、室内に静かに流れた。
「皆が集まってくれたことに感謝する」
 六十四歳になったアウグストゥスの、六歳年少の妻に対する愛妻家ぶりは有名だ。かつて二十六歳の若者だったアウグストゥス―――当時は勿論「アウグストゥス(至尊者)」などという仰々しい称号では呼ばれておらず、ガイウス・ユリウス・カエサル・オクタウィアヌスが彼のフルネームだった―――が熱烈な恋に落ちたのは、妊娠中の美貌の人妻だった。
 リウィアの夫は、このローマでも屈指の名門貴族に属しており、リウィア自身も古くからの貴族の出身だ。これに対しアウグストゥスの方は二度目の政略結婚の相手と別れたばかり、しかも祖父の代には何を生業にしていたかもはっきりしない根っからの平民で、いわば「成り上がり」だった。それにも怯まず夫に直談判し、妻を譲らせたというから、相当惚れ込んでいたのだろう。普段むしろ慎重で、気さくな笑みを絶やさない、この大国ローマのらしからぬ最高権力者の一体どこにそんな激しい情熱が秘められているのか、ドゥルーススには見当もつかない。
 その時リウィアの胎内にいたのが、ゲルマニクスの父で、十一年前に二十九歳の若さで故人となったネロ・クラウディウス・ドゥルースス・ゲルマニクス。(ちなみに「ゲルマニクス」は「アウグストゥス(至尊者)」同様に尊称で、「ゲルマニアを征した者」という意味がある。従兄はこの父の名を継いだのだ。)ドゥルーススの父ティベリウスはその実兄で、この弟とは四歳違いだ。フルネームをティベリウス・クラウディウス・ネロ―――クラウディウス一門に属するネロ家の人間で、個人名はティベリウス―――という。
 今朝、久しぶりに父の夢を見た。父がローマを去るときの夢を。ローマの首席将軍だった父が、最高権力者であり継父でもあったアウグストゥスと大喧嘩した挙句、一切の公職を退き、小アシア(トルコ)近くに浮かぶ小島、ロードス島に引っ込んでから、七年が過ぎた。軽蔑を込めて「流罪人」とさえ呼ばれることもある。
 父は、ある意味では故人であるドゥルースス・ゲルマニクス以上に死者だった。いっそ本当に死んでくれれば、ドゥルーススとしてもせいせいする。父が妻や母や息子を棄てられるのなら、ドゥルーススとてこの父を棄て去ってしまいたいのに。
「今日は、わたしの人生が始まった日だ」
 アウグストゥスは言った。ローマの最高権力者のノロケは、まだまだ続きそうだった。集まった面々は時折笑いを噛み殺しながら、私語を交わしながらそれを聞いている。アウグストゥスは一向に気にする様子もない。
「ここに集まった人々の誰一人として、我が最愛の妻リウィアの持つ数々の美徳の恩恵にあずかっていない者は、一人としてあるまいとわたしは確信している。この腕の中に、わたしは世界を抱いているのだ。あらゆる幸福が、あらゆる美が、あらゆる善きものがこの腕の中にあるのだ。これほどの果報者が他にあるだろうか」
「アウグストゥス」
 アウグストゥスの傍らに臥していたリウィアが夫の袖を引いた。アウグストゥスは言葉を切り、愛妻を見る。
「どうした」
「毎年毎年。皆が呆れてるわ」
「そんな不心得者は叩き出すぞ」
 室内に、小さな笑いが起こった。リウィアはアウグストゥスの耳を軽く引っ張り、囁く。
「みんな、目の前の料理が気になって気もそぞろよ」
「お前の料理にか? 空腹は最上のソースだぞ」
「そんな話をしているわけじゃないわ」
「最後まで言わせなさい。この日のために、日頃抑えに抑えているノロケを一言たりとも言い漏らすまいと十日がかりで書き出しておいた。ここでやめたら、わたしは欲求不満で悶え死ぬ」
 リウィアは苦笑し、こぶしで軽くアウグストゥスの胸を突いた。
「じゃあ、ご自由に」
 痰が絡んだのか、アウグストゥスは軽く咳払いをした。
「……さて、どこまで話したかな」
 ドゥルーススはゲルマニクスとちょっと目を見交わした。ゲルマニクスも周囲同様に笑いを噛み殺している。ドゥルーススはそっとこの場に集まった面々を周囲をうかがった。
 ここにいるのは、アウグストゥスの一人娘ユリアが、父の親友との間にもうけた三男二女のうち、東方世界(中東)で任務を遂行中の長男ガイウスを除く四人、ゲルマニクスと妹のリウィッラ、二人の母でアウグストゥスの姪にあたるアントニア、そしてドゥルーススだ。テーブルを挟んだ向かいの寝椅子に臥しているアウグストゥスの孫娘アグリッピナが、傍らのアントニアに何か囁いた。アントニアは小さく笑う。
 父には義妹にあたるこの女性は、ドゥルーススには実母以上の存在だ。父が去った時、まだ二十九歳だったアントニアの手許には、ゲルマニクスにリウィッラ、そして末っ子の小ティベリウス―――身体が弱いので、邸に残されている―――の三人の実子がいた。夫も両親も既に亡かった。そんな中で、六歳の甥の養育まで引き受けるのは大変な事だっただろうと思う。だが、こんなに幸せそうに笑う女性を、ドゥルーススは他に知らない。結い上げた栗色の髪は豊かで、淡い紫色の眸は常に生き生きと輝いている。苦労などまるで知らないかのようだった。
 アウグストゥスの長いノロケが終わると、ルキウスが立ち上がり、乾杯の辞を述べた。
「国父アウグストゥスとリウィアの輝かしい運命と、これからの一層のご多幸とご長命を祈念して」