けして記憶をとおいうみ
一度だけ、人を好きになったことがある。
何がすきだったかといわれると、全く持って疑問だ。とりたてて格好いいというわけでもなかったし、頭も良くなければスポーツがずば抜けてできるわけでもなかった。
背が、高かった。
不意に一つの要素を思い出す。すると次から次へといろんな要素を思い出す。一年のはじめ、席が前後だったのだ。プリントを配るとき指をつかまれたのを思い出した。
「手、ちっちゃ」
鼻で笑うようにして云われた。頭に血が上った。手を振り解いて、こんな奴しんでしまえと思った。
残酷な子供で、加虐心のかたまりのような男だった。
たくさんの子供らしい嫌がらせをされた。足を引っ掛けられたり、全校生徒の前で大声で名前を呼ばれたり、通せんぼされたり部活の最中にボールを投げつけられたこともある。今思えばとんでもない話だ。
でも二人きりになると、背を縮めて耳打ちするように語り掛けてきたり、ぽつぽつと家族のことなどを話し始めた。彼にはうまれたばかりの妹がいた。美しい兄がいて、今思うと彼は気の毒な子供だったのだ。
あのとき手を差し伸べていればお互い何か違ったかもしれない。けれど私は手を差し伸べず、彼を拒絶した。触れられると萎縮したし、彼の前でほとんど口もきかず笑いもしなかった。
出会って9年もたつのに、昨日不意に夢に出てきた。高い塔の上に監禁される夢を見た。私を捉えたあの男はひどく安心しきった顔をした。二人きりのときはひどいことをされないと知っていたので、私は何も云わなかった。
「xxxxx」
聞こえなかった。しかし私は問い直すことをしなかった。彼は少し悲しそうな顔をして、扉を閉めた。鍵がかかる音がした。
とても象徴的で、安直な夢だ。
私はあの頃を後悔しているのだ。人に優しくできなかった自分に。自分に執着してくれる人間を大切にできなかった事実に。
成人式で彼を見なかった。皆は一緒に写真をとったという。私はその姿かたちさえ目に捉えることがなかった。お互い無意識に避けていたのかもしれない。私たちをつなぐ細い糸はまだ切れてはいない。どうにかすれば連絡を取ることはできるだろう。しかし私はそれをしない。
今更の謝罪が拒絶されるのを恐れているのだ。
なので、夢の中で。塔の上で。鍵のかかる部屋で謝ろうと思う。
拒絶したかったのはお前に惹かれる自分自身だったのだと。
残酷な子供だった彼はうっすらと笑うだろうか。あのときのように。
作品名:けして記憶をとおいうみ 作家名:おねずみ