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亡き王女のためのパヴァーヌ  完結

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第七章 山猫



 雪乃が語気を強める。
「おじいさん、どうしても教えてくれないの?」
 自ら夢魔と名乗る老人は、じっと考え込んだままだ。
「由紀の命を救う方法がないのなら、私の死に方を教えて! 由紀が居なくなったこの世界では生きていけない」
 雪乃は先日、由紀との京都旅行を思い出していた。高雄の清滝川沿いの旅館の川床で、由紀はその思いを告白してくれた。
『私はひきようだった。意気地がなかった。由紀は私を恋しいと言ってくれた。私もずっと思ってたのに。私は由紀を思う気持ちはいつも、狂おしく燃えていた。でも、恐かった。由紀がふざけて、身を寄せてきたとき、いつも突き放していた。でも心の中では、由紀を抱きしめたいという思いが渦巻いていた。それが恐かった。私は正直ではなかった。臆病でいつも逃げていた。でも、由紀のほうから、先に言ってくれた。ほんとうは、私から言うべきだったのに……・』
 あの月明かりの夜、雪乃は由紀を抱きしめた。その頬に自分の頬を押し当てた。それから、自分の唇を由紀の唇に重ねた。その時、時間は止まった。下弦の月の放つ白い光の下、その思い出は雪乃にとって、永遠のものになった。私はもう何時、何処で死んでも、あの時間の中に帰って行けるという思いが、雪乃を幸せにした。
 沈黙を破って、老人が口を開いた。
「教えよう。由紀の命の救いかただ。次にお前の死に方を教える。夢魔が人の命を救うということは、夢魔の命を相手に注ぐということだ。不死身の夢魔の命を僅かでも得れば、人はどんな重傷の病も怪我かからも治る。しかし、本来死ぬはずだった、人間を救ってしまった代償は大きい。時空間はそれを修正しようと、激しい天変地異を起こす。そのため、一人を救ってしまったために、何百万、何千万人の人を、地球規模で起こった大きな洪水、地震、台風などで殺すことになってしまう。だから、夢魔が人の命を救ってしまったら、己の全ての命を分散させ、広く広がり、この惑星を覆い尽くし、時空間の歪みから押し寄せてくる、津波のような大きな力を支える堤防にならなければならない。結果として、夢魔は死ぬ。それでも、いいのか?」
 雪乃は目元に優しい笑みを浮かべながら、静かに肯いた。

 それから、雪乃は由紀を病院に見舞った。午後八時近く、病院の面会時間の終わる間際だった。由紀は一人ベッドで横たわり無表情に、ぼーっと天井を見つめていた。しかし、雪乃の姿をみるや、突然スイッチが入ったかのように、その顔に喜びが広がる。
「雪乃!」
 由紀の右手が雪乃の左手をとり、掛け布団の中に引き込み、手を握りしめて放さない。
「由紀、ごめん。私、仕事の出張で明日から遠くに行くことになったの」
 由紀の目に不満の色が表れる。
「どのくらいなの?」
「一週間くらい」
 そのとき、看護婦が入って来て、病室の窓のカーテンを閉める。
「あのー、面会時間、もう終わってます。他の患者のかたに、ご迷惑ですから」
「すみません。すぐ帰りますので」
 雪乃は看護婦に一礼する。看護婦が出て行くが、由紀が握りしめた手を放さない。
「もう、帰っちゃうの?」
「ごめん。出張から帰ったら、すぐ来るよ」
 雪乃は布団の中で由紀のパジャマの右腕の袖を上へとまくり上げた。自分も袖をまくり上げ二の腕を露わにすると、由紀の腕の内側に自分の腕の内側を押しつけた。むき出しになった柔らかい肌を直に擦りつけると、由紀はちょっとはにかんだ。雪乃がいたづらっぽい眼で微笑む。由紀は、わざと、咎めるような眼をした後、まるで幸せに溶けてゆくかのように微笑み返す。
 時間にして五秒くらいの肌の接触だった。その後、雪乃は布団から手を抜き、退出した。雪乃が部屋を出るまで、由紀は目で追い続けていた。
 雪乃はそのまま、屋上へと上がった。あの老人が待っていた。その夜、雪乃はガンを治すのに充分な命を由紀に流し込むと、夜空へ消滅していった。

 由紀の病状は劇的に快方に向かった。医者は医学の常識を越えていると当惑した。転移していたガンは次第に消えて行った。
 雪乃が消えてから、一ヶ月経ち、由紀はすっかり元気になっていた。まだ、体に少しガンが残っていたが、痛みは無くなっていた。あれから、雪乃からは連絡が無かった。携帯は通じず、メールは宛先のアドレスなしと通知された。雪乃の会社に電話すると、既に退職していると言われた。しばらくして、病院に来た母が、家に雪乃の荷物が届いたと告げた。一緒に届いていたという手紙の封を切った。  
「 由紀へ
 ごめんなさい。出張なんて嘘をつきました。私は、ある外国の会社から引き抜かれ、その国へ行きます。そこで、もっと修行を積んで、世界に通用する一流のデザイナーになります。
 私はあなたに初めて会ったときから、自分なんて、あなたにはふさわしくないと思っていました。スケートで二度の世界チャンピオンになってしまった、あなたは、ますます私から遠く離れて行きました。いつか、由紀と同じ高さにまで行きたいというのが私の夢でした。
 この世界で名を上げて、必ずあなたの元に帰ります。そして、『ユキ アンド ユキノ』ってブランドを作ります。 作りたいけどね。
 新商品立ち上げのスタッフとして雇われ、機密保持のため、一切のことを秘密にしておくのが、向こうの会社との契約の条件になっています。だから、当面、連絡はできません。でも、時期がくれば連絡します。こんな、自分勝手で薄情な私を許してください。
 それと、ごめんなさい。突然、荷物送りつけてしまったけど、どうか預かっていてください。家具は処分しましたが、私の衣服と、試作していて、まだ見せていない由紀のコスチュームが数点あります。いつか、また、取りに行きます。
 あなたの体が回復してゆくってことは、病院の先生に聞いて知っていました。だから、安心して出発します。いつか、あなたがまた、フィギュアスケートの大会に出る日を楽しみにしてい。
                                    雪乃      」
 由紀は泣きじゃくった。
「バカ! 我が儘だよ。薄情だよ。金メダルなんか、ドブに捨ててやるよ。だから、帰ってきてよ……」

 雪乃が居なくなって、しばらくして、一人の老人が由紀の居る病院に入ってきた。あの夢魔と名乗る老人だった。福井という名を使っていた。天気のいい日は病院の中庭のベンチに一人佇むことの多い由紀に、福井は近づき話し相手になった。
 いつものように、由紀は中庭の大きな銀杏の木の前のベンチに座っていた。福井が後からやって来た。
「由紀ちゃん。ここが好きなんだね?」
「うん。この銀杏の木、見てるのが好きなんだ」
「銀杏が好きなんだね?」
 由紀は首を横に振りながら、銀杏の木を見上げる。
「銀杏が好きなんじゃないけど、早く葉っぱが黄色くならないかなって、見てるんだ。銀杏が黄色になるってことは、時が経つってことじゃない。時が過ぎれば、私の大事な友達が帰ってくるんだ」
「そうかぁ。それで、いつも天気のいい日はここに居るんだ。じゃあ、雨の日はどうしてるの? 他の入院患者の人は休憩所や、外来の待合室に居たりするけど、由紀ちゃんの姿、見たことがないね」