小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

20100824

INDEX|1ページ/1ページ|

 
解った時、蛇口から流れ出る水が止まらなくなった。



 いつも通り、質素でかさかさしてて自分の体温で生温かくなってる布団。夢は端っこから消えていき、今日が始まってる。全身がべたべたする。そうだ、シャワーも浴びずに寝てしまったのは、昨日電話で振られたからだ。自分は悪くないのに、半年しか付き合ってないのに、なんで。涙が眼にたまって、鼻の奥が少し痛くなる。フランス人形とか言われても、何。意味わからないこと言ってたやつのことなんて、忘れよう。別のこと考える。

 今日の夢はどんなのだった? ぱっと浮かぶのは白と灰色、茶色、そして液体の感触。そしてゆるゆる回転する頭で、体温計の水銀の昇るようにゆっくりと、夢の中身をひとつひとつ初めから辿っていく。こんな習慣に朝の貴重な時間が奪われ続けたら、いつかだめな人間になってしまうかもしれない。だめな人といえば、今日の夢に救いようのないほどだめな人が出てきたな。


 何を探しているのか判らないけれど、地べたを這い回ってる女。趣味はお洒落、流行りのポイントは絶対外さないし、と服が喋り出しそうなくらい普通な格好。辺り一面が薄霧と泥と無音で満ちた寂しい世界で、女の一挙一動からびしゃびしゃと音が立ち、四方へ逃げ消えてく。
 女はぬかるんだ地を指で掘り、泥を両手で掬い上げ、少し間をおいてその狭い幅の肩を落とす。表情は焦げ茶色の長い髪に邪魔されて見えないものの、かなり落胆してるように見える。これを場所を少し変えては何度も何度も繰り返してる。大事なものでも落としたのかな? と、自分の視点がその人の真上に来た時に、ぴちゃりぴちゃり泥をはねて、子供が視界の端から出てくる。

「スカートをどんなに泥まみれにしても、見つかるわけないよ」

 幼い頃の自分の容貌を持ったその子は、満面の笑みを顔に貼っている。風にめくれそうでめくれない、その笑顔に背筋がぞっとした。笑顔の陰に覗く肌が瑞々しくて、こんなに綺麗なのに、なんで。ひとまわりほど歳の離れた自分に大きな困惑と微妙な劣等感を抱きつつ、それを認識したことで少し落ち着く。いつの間にか子供は女の目の前に立ってるけども、女は変わらない動きで捜索を続けている。その子の罵言が聞こえなかったのか、はたまた無視か。
 一心不乱に這いずる女は、子供の踏み出した足元から飛び散ったものが自分の髪にぺしゃとくっついて初めて、その存在を知ったみたい。女は動きをびたと止め、徐々に子供の方を向き、固まった。この泥まみれの剥製は何を考えてるのか、見たところ判らない。子供は首をやや傾けると右手をポケットに突っ込み、猿とバナナの刺繍が可愛く入ったハンカチを取り出し、ひょいとしゃがむ。女のどろどろした花柄のスカートにそろりと手を伸ばそうとした。

「いつ失くしたかも分からないでさ。もう、今更見つからないよ。……服や化粧の可愛さなんかに頼ってるから、それを失く」

 子供が言い終える瞬間、女は異様な速さで腕を繰り出し、その子の髪を掴みにかかった。驚いた子供はバランスを崩し、尻もちをつく。灰色はふわりと浮かび、波打つ茶色はさらさらと広がっていき、隠れていた肌色があらわになる。それが見えた瞬間、一面の霧が晴れていき、自分の硝子の中の水銀が急速に落ちていった。



 びくんっ、と硬直して私も剥製になった。冷や汗が肌を伝い、心臓は剥製の中を所狭しと暴れ回る。

 身体は動いてくれないけど、頭は冴えてる。あれは何だろう。あの女の前髪の向こうの顔立ちが見えて、それを覚えてるのに、解らない。ああ、苛々する。子供があるものを見て、それが何か分からないから親に教えてもらおうとするけど、頑なに教えてもらえない。それに似てる。
 自分の頭に何も教えてもらえない私は、溜息をついた。気がつけば、体が言うことを聞くようになってる。そして、今日の朝も始発に乗って仕事に行かないといけないのを思い出す。あと1時間しかない。「空想の重要性は日常の危急度と反比例する」彼の意味不明な口癖をちらりと思い出す。くだらないことの塊をぽいっと心の隅に捨てて、私は急いで支度に取り掛かる。あ、メイク落とさないで寝てしまったんだった。ああ、もう。どうせまたすぐメイクしないといけないのにな。タイルの崩れた洗面所へ、メイクの崩れた失恋女。



 昨日電話越しで言われた内容の意味が解ってしまった時、蛇口から流れ出る水が止まらなくなった。
 鏡に映ったのは、私。そして山程の女。すぐに私は他人の中にゆらゆら溶け、判らなくなった。

「フランス人形だろうが大量生産の同じ顔のものよりも、素朴でも心のこもった手作り人形が欲しい」



 ひとしきり泣くと、昨日の逆衝動買いした秋の新色で目元を誤魔化し、地味なパンプスを選んだ。
作品名:20100824 作家名:魚ノ瀬 悠