小籠包物語
彼はいつも寸分狂わず午後7時にやってくる。路地裏の店であっても午後7時と言えば大盛況となる時間である。はっきり言って彼は流行っていない店に入っているといっても過言ではない。金をそれほど出さずともそれなりのものが食べられるこの香港においてそれはあまりに馬鹿馬鹿しいような気もする。しかし彼は毎日ここに来る。―分かっている。彼は看板娘のジェシカ(香港ではほとんどの人が中国名以外にイングリッシュネームを持つ)を見るために足しげく通っているということは。彼女は気立てのよいウェイターでもあったが、かなしいかな、学歴というものがまるでなかったのである。それがどうしても彼女が結婚できない要因でもあった。香港では女性もまた学歴があるということを求められていた。それがステータスでもあった。
あってもお互いに別に会話もしない。お互いに相手のことを好いていたが、お互いに一度も言葉を交わさなかった。
そのうちに彼は店に来なくなった。ジェシカと彼は以後一度も会わなかった。彼がどうなったかも誰も知らない。いまでもジェシカの店は続いている。昔と異なるのは今では大盛況である点である。
彼が食べていた小籠包のスープの味は箸で持つと破れそうなギリギリのラインで入っていることが特徴だった。それには今、特別メニューとして名前が付いている。
「金旗小籠包」
金は中国で多い名字。旗―Jack(ジャック…船につける小さな旗)。彼が持っていた名刺がたまたま一枚、忘れられていったからそうつけられた。
彼は、その店のことがたびたびテレビで出るようになっても、やはり来なかった。