N.O.R(2)
「なあ、今日も天気はこのまま?」
真夏特有の真っ青な空に、わずかに浮いた白い雲を見つめたまま振り返りもせずにアキラは尋ねた。
「気象衛星や各観測所からのデータを総合したところ、現在この地域は高気圧の勢力下にありますので、数日後までこのままの好天が続くかと」
穏やかなアンドロイドの声が優しげな声で応えた。
「……せめて夕立くらい、降らないわけ?」
「残念ながら、今現在は夕立が降るほどの大気の不安定さは期待で来ません」
「……そっかー」
アキラはソファの背もたれに頬杖をつくと、不満げに青い空を見上げた。
「せめて夕立でも降れば、気が紛れるかと思ったのにな」
アキラは雨が好きだった。雨粒が色を塗り替えるように地面を次第に濡らしていく様も好きだし、自分がその中に出て行って、肌や服や髪を雨にさらして重くなっていくのを感じるのも好きだ。
そしてアキラが嫌いなものは、安全すぎる変化のない日常と与えられた今の環境だ。
地球最後の人類であるアキラに人類が残したものは、どこまでも安全で、そして退屈な環境だった。住み心地の良い快適な住居にどこまでも行き届いたシステム。アキラただ一人の生存の為に整えられた環境は、どこまでもアキラに優しく、そして、果てしなく窮屈だった。
もちろんアキラには、こんな快適な環境を出て一人、危険な冒険に出かける事もできる自由もある。しかし、その過酷な冒険の最中にアキラがその気になれば、即座にこのアンドロイドがアキラを迎えにきてくれて、この安定した環境にアキラを戻してくれる。
とりあえずアキラ自身が、フラストレーションから自分の住む家を燃やそうとしてしまった事も数度あったが、アキラの生存環境を守るためのセキュリティは完璧で、そしてもし、今住んでいるこの家が壊してしまったとしても、新しい同じような、アキラ一人が住むにはあまりにも行き届きすぎた家が、世界各地に用意してあるのだ。
そして残念な事にアキラは、この生活の、退屈以外の側面が決して嫌いではない。
快適な環境、美味しいご飯。物質的には穏やかで満ち足りた生活。
ー抵抗するだけ無駄。
時々、そういう言葉が頭に浮かんでくる。
それは小さい頃に読んだ昔の絵本だっただろうか。昔存在した中国と言う地方の西遊記という物語。その中に出てくる孫悟空という猿の主人公は、自分は天に匹敵する存在だという驕りから乱暴の限りを尽くし世界の果てを目指したが、結局世界の果てまで行ってもお釈迦様の掌の上から外に出る事はかなわなかったという。
アキラの為に用意された世界も、アキラにとっては同じようなものだった。
どこまでアキラが失敗しようと、どこまでアキラが荒れ狂おうと、この世界は何事もなかったように、すぐさま元の姿を取り戻し、ひたすらアキラの為に尽くそうとする。アキラ一人くらいの力ではどうする事も出来ない巨大で安定した、地球人類が最後の人類であるアキラの為に残したシステム、環境。
ーどうやったらこの重圧感に勝てるんだろう。
その答えを、実はアキラはとっくの前に知っている。アキラがただ一言、「もうたくさんだ。コンンどころ本当に終わらせてくれ」 そう唱えるだけで良い。ただそれだけで、アキラの人生と、一万年余りに及ぶ人類の歴史が終わる。
アキラ自身が絶望の中で終わりを選ぶ事が、アキラの為にこの世界を残した人類に勝つ方法なのだ。
ただ、アキラはどうしてもそれを選べないままでいる。その理由はアキラ自身にもわからない。わからないままそれを選ぶのは口惜しいので、アキラはまだ生きている。終わりを選べない理由がわからないというのは、まだ自分には、生きる理由があるという事かも知れない。それがわからないままに終わりを望んでも、それは拙速というものだろう。
そういうわけで、アキラは今日もまだ生きている。
「せめて雨くらい降らないかな」
そうすれば、見慣れた景色が少しだけ変化する。
そして、アキラの独り言に反応した、背後に控えたアンドロイドの「人工降雨システムを働かせる事も出来ますが」答えに「お前は黙ってろ」と怒鳴りつけ、そしていつものようにアキラはソファに寝転ぶと、夜がくるまで目をつぶる事にした。