Father Never Say...
受け継いだのは、あの人の方だ/春日
からりと晴れあがった空が窓から覗いていた。丁度今頃、世界が本格的に動き出すより少し前の時分は、この界隈ではたいした物音もせず、小鳥のさえずりさえも聞こえない。まるで自分達親子だけが終わってしまった世界に取り残されたようだ。そしてそれは案外的を射た考えかもしれないとも思った。
春日怜は都市の中枢からかなり離れた町で母親とふたりきりの生活をしている。町全体が過疎の状態にあるわけではないが、若い世代は成人すると中心部へと引っ越してしまうため、町民の平均年齢は高く、あまり活気がない。春日の家はそんな寂れた町の中でも特別、他の家々の群れから外れた場所に孤立していた。
「おはよう、お母さん」
「……おはよう、怜」
支度を済ませ、できあがった朝食を母親の寝室に運び、その場でふたりで食卓を囲むのはもう日課といってもいい。部活でどうしても朝食を作る暇がない時以外は欠かさずにいる。
年月が彼女をすり減らしたとしても、昔はさぞや男性にもてただろう美貌の面影を残す春日の母親は、3年前体調を崩して倒れて以来子供の頃から患っていた病が悪化し、家の中でさえ満足に行き来できない状態になってしまった。その事に春日は責任を感じ、ずっと背負い込んできた。彼女が倒れたのは自分の所為だと、自責の念に苛まれつづけている。
彼女は春日をこれまでたったひとりで育ててきた。あらゆる事情から、相手の男は子供を認知はしたものの、結婚には至らなかったためだ。
父親からの養育費は毎月指定口座に振り込まれているが、彼女はそれに手をつけず、自分が働いて稼いだお金だけで春日を養っていた。どんなに仕事がきつくても、忙しくても、人間関係が上手くいかない時も、彼女は弱音を吐かず、愚痴ることもなく、春日の前では笑顔を見せ、気丈に振舞った。
だからこそ母親がどれだけ無理をしていたのか、春日にはまったくわからなかった。彼女が複数の仕事を掛け持ちしていた上、内職までしていたことを後で知り、驚いたくらいだ。
そうまでして何故父親からの養育費に手をつけなかったのかと親戚は首を傾げたが、春日には母親の想いが痛いほどわかった。その上で、母親がひとりで抱え込んできたものの存在、自分が守られてきたのだという事実に気付けなかったことが、悔しくてならなかった。
必ず自分の手で母を幸せにして、恩に報いたい。何よりも愛している、春日にはたったひとりの肉親だからこそ、強く想った。その為の努力は惜しまなかった。結果として春日は超難関といわれる私立の進学校に合格し、奨学生として通っている。
「……ますます似てきたのね」
母は最近、時折春日をじっと見詰めては、うわごとのようにそう呟く。もう何度目だろう。その度に春日は、何故この人はいつまでも他人のものになってしまった男のことを考えているのかと居たたまれなくなった。そしてその言葉は春日を、自分では母を幸せにできないのではないか、それができるのは今でもたったひとりだけなのではないかと惑わせるのだ。
父親を恨んだことは一度もない。彼は春日の母親に対する責任をすべて果たしている。母が語る父親との思い出は、自分と同じ年頃の少女達が憧れる世界そのものだと感じたし、そういう気持ちになれる人が現れるなら母親のように全力で愛したいとさえ思う。
しかし父は今では彼女とは違う女性を生涯の伴侶とし、妻との間に設けた子供に、春日が受けるはずだった愛情をすべて注いでいる。
母がいい加減新しい恋を見つけてくれれば、自分もこんな気持ちになったりはしない。朝食を食べ終わると再びベッドに横たわる母親の寝顔を、悲しく思ったりはしない。──そう思っていた。だがそれも人を好きになるまでのことだ。相手の立場などなりふり構っていられないほどたったひとりを求めたとき、春日は今までの自分が何もわかっていなかったことを知った。
「……似てないだろ?」
はじめはただ押し黙ることしかできなかったが、今ではそんな風に受け答えしている。すると毎回同じ答えが帰ってきた。
「それでいいのよ。貴方の外見があの人に似ていたら、あの人が困ってしまうから。私が言っているのは、内面のことよ」
一番はじめに父親を認識したのは写真の中だった。“お父さん”というのは写真の中の人のことなのだと、友人に指摘されるまで思いこんでいたくらいだ。直接会ったことは一度もない。それでも知らない人のように感じないのは、彼が社会的に著名だったからだ。
世界企業の“白河グループ”の若き取締役といえば、テレビ欄にしか目を通さないという小中学生や経済にまったく興味のない大人でさえ知らない者はいない。ワイドショーが彼を取り沙汰しお茶の間を賑わせているのは、彼が大企業にありがちな二世や成り上がりなどではなく、前取締役の娘と結婚し婿養子に入ることで、実に効率よく一族を飼い慣らし、たった1年でその地位まで上り詰めたからだ。
そのルックスもさることながら、“魅せる”テクニックと人を喜ばせるサービス精神が人気を呼び、今ではどんな2枚目俳優よりもCM出演料が高いと言われている。
(似てねえだろ……内面も)
自分が彼ならば、そんなやり方で社長の地位を得たいとは思わない。何よりも、2人の女にほぼ同時に手を出すなど、あり得ない。
「受け継いだのは、あの人の方だ」
「え……?何か言った?」
「いえ……行ってきます」
「行ってらっしゃい。気をつけて」
はじめて父親の愛息子──白河聖人を実際に目にした時、父には似ていない、と思った。白河の容姿は明らかに母親似だ。
だが彼の性格を知り、実際接してからは違う。十年以上一緒に過ごしてきた親子が似ていないはずがない。春日から見た白河は、テレビの中の父親そのものだった。
「あっ、そうか!ずっと誰かに似てると思ってたんだけど、そういう事かあ!」
図らずも同じ吹奏楽部に入部して幾分と経たぬ頃、白河にその一言を告げられるまで、そう思っていたのだ。
「春日くんって、俺の父さんに似てる。 あっ、外見じゃなくてね。……その性格がさ」
確信した。
(この人は、俺が何者なのかを知らない)
作品名:Father Never Say... 作家名:9.