むしのめ
女は云った。
「ねぇ、何か首に絡んでいる気がするのだけど」
女には見えない何かが応えた。
「蜘蛛の糸だ」
見えない彼方は続けて云った。
「その蜘蛛は阿呆な奴で、お前が好きでずっと見ていたんだよ。お前をどうにかしてしまいたくて、でも喰ってしまうのは勿体無いだとかで、取り敢えず糸だけ垂らしておいたんだ。一度、お前の背後で男が倒れていただろう。あれはお前が気付かないで通り過ぎたその糸を見咎めて、掴んで引っ張って登ってみた可哀相な野郎なのだ。途中で地面が恋しくなって落ちてしまった」
「そう。ところでずっと、粉の降るような音が聞こえているのだけど、何だろう」
「私の羽撃く音だろう。お前、私がまだ見えないのか」
「おや、きみは飛んでいたのか。でも今日は雨降りだ。飛ぶに適した日和ではないね」
「そうだな、実に難儀だ」
彼方は自嘲して笑ったようだった。実際は雨が降ればそれに適した姿になれるのだ。ただそれが醜いので笑ったのだった。
「そういえば、どこへ行く」
「学校だよ。今日は火曜日だ。何だかきみはお母さんのようだね」
彼方は声を立てて笑った。
「お前は、不可視の何かを母親と言うのか」
女は云った。
「それも構わないだろう。だってきみ、ずっと付いてくるんだろう?」
女には見えない何かが、自身が思う母親らしい色の口調で応えた。
「そうだ。全部の目でずうっと、見ていてあげるよ」