やさしくされたい
お前はあたたかいベッドのない、膝を抱えて涙を流す夜を知っているか。俺の幼少時代というものは、概ねそういうものであって、それゆえ俺はいつも夢想していた。この地面に落ちるだけの涙を拭ってくれる父や母、姉や兄の手を。いつだって自分のより大きい手に憧れていたし、女のがざがさの、でもふっくらしてあたたかい手に心臓のあたりをあたたかくしていた。
春を鬻ぐことが何であろう。あたたかい手が身近にある事こそが俺の願いで、だからこそそれをかなえてくれるのなら女でも男でも、年寄りでも若者でも良かった。
厳密に云えばそんなに春を売ったことはない。
時に金持ち貴族の暇つぶしに付き合ったり、恩給で暮らす老婆の愚痴に付き合うことも俺の仕事だった。俺は俺という存在と俺の時間を切り売りしていて、その使い方は買った人間によった。
俺の前を様々な人間が様々な方法で通り過ぎていった。愛をささやく者、罵る者、子供のように甘やかす者、兄のように慕う者、彼氏のように装飾品のように扱う者、鞭で打つ者打たれる者。本当に、本当にたくさんの人が俺の前を、俺の身体を、俺の時間を通り過ぎて行って、そのたれもが俺のことを振り返らなかった。ただの一人さえも。
俺はその過ぎ去ってしまった人々から金を稼ぎ、そうやって生きていった。金がたまった頃に学校に行き、物を考えることと金を稼ぐことを学んだ。俺は俺という存在を切り売りすることなく、俺の時間だけを切り売りして金を稼ぐ方法を学んだ。
そうやって働きはじめて、また金を貯めて、俺は以前そうされたように、たれかを買うようになった。女、男、年寄り若者。色んな人間を買った。けれどそれは愛をささやくためでも、肉欲を満たすためでもなく、手をつなぐためだった。
俺は、あの一人ぼっちで膝を抱えた夜に憧れていた涙を拭う手を、未だに捜していた。
人はその手を家族として手に入れるだろう。けれどそのときの俺は、全くそのことについて思いつかなかったのだ!
ひたすら、ぬくもりをくれる手を捜し求めて人の存在と、時間を買った。
それはいつの夜だったか、その人間は金で買った人間ではなかった。たまたま行き会っただけだ。俺はバーで一人で飲んでいて、その人間も一人だった。俺はぐでんぐでんに酔っ払って、眦からはぼろぼろ涙がこぼれていたらしい。らしい、というのは自分にさっぱり記憶がないからであり、しかしながらカウンターにしっかり右目から流れた涙の跡があったからである。
左目の涙は?
左目の涙は、この人間が拭っていたのである。俺は二度目か、三度目にその手が眦に触れたことに気づいて、それからぼんやりする頭で、「この手にちがいない!」と思い、慌ててその手首を掴んだ。
すると、手の主は少し驚いたように肩を揺らし、それから笑った。
そうしてゆっくり俺の拘束をといて、俺の頬に手を当てた。その手のあたたかさといったら!これは愛を知っている人間のぬくもりだと思った。人を愛したことのある人間の手の温度だ。買われていた時分、愛した人がいた老婆は皆この温度をしていた。がさがさで、よぼよぼの手だったけれど、俺は老婆のそのぬくもりが好きだった。
「おかあさん・・・」
知らない。あくまで聞かされた話だが、俺はそう呟いたらしい。全く笑える話だ。母親なんて見たこともないのに。
それでも、そのぬくもりを俺の思う母親のぬくもりだったのだろう。
全く笑い話にしかならない。
これが俺の話。