〈ユメ〉夢詩〈ウタ〉
五の夢~知らないから、知りたい人達のコト~
膝を抱えて座る少女は、ただ空を見ていた。
これから来る闇を、待っているかのように。
そこへ。
「夏菜」
呼ばれた声に、少女―夏菜は何も言わなかった。
ただ、体を震わせただけ。
それを見た声の主は、呆れたようにため息をつく。
そして、目にかかっている髪をうっとおしげに払った。
「お前そんな床にいて怖くないか?」
そう問いかけるのは、落ち着いた低めの声。
夕焼けで伸びる影が異様に長いのは、声の主がもともと、背が高かっただけ。
「そろそろ行くぞ。ずっとここにいるわけには、いかないからな」
そういうと、夏菜は視線を下に向けた。
眼前に差し出された、少しの砂とたくさんの傷がついた手。
本当ならこんなことにはならなかった。
だけど、なってしまった理由が、あっただろうから。
しばしの逡巡の後、夏菜は立ち上がり、振り返った。
視界に移るのは、声の主であった、赤い長髪の青年。
髪と同じくらい赤い目をしてはいるが、夏菜を見つめる目は優しい。
長袖の黒いシャツの上に、厚手のカーキ色のコートを羽織っている。そして小脇に同じ、カーキ色のコートを抱えていた。
夏菜は青年に駆け寄ると、コートを受け取り、半袖の白いワンピースの上にそれを羽織った。そして、改めて、青年に向き直った。
「いくか」
「はい、兄さん」
二人は視線を交し合って微笑むと、
今にも崩れそうな岩に、その手をかけた。
青年のいたところ。大きな大きな崖の途中で見つけた、洞窟の中。
夏菜がいたところ。そこは、洞窟の入り口。
崖の上に何があるかなど、彼らは知らない。
それでも彼らは登り続ける。
何があるか、知りたくて。
今の彼らには何もないからだ。
着ているものと、お互いの名前と関係。
それ以外に何もなかった。
彼らは登る。途方もないくらいに巨大な崖を。その身ひとつで上っていく。
手がどれだけ傷つこうが、どれだけ体を痛めつけられようが。
何もない彼らのとっての、唯一の『願い』のために。
だが、その『願い』が叶う時までは、遠い。
作品名:〈ユメ〉夢詩〈ウタ〉 作家名:千華