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フレンドボーイ42
フレンドボーイ42
novelistID. 608
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Slave who plays role as Diva

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「さあ、ここがお前のいる場所だ」
 少女は手首をつながれて歩いてゆく。

 今では神代とも呼ばれる古代において、とある都市国家(ポリス)が存在していた。ポリスというのはデルフォイやアテネ、スパルタなどのように都市の体裁をとった国々のことである。この時代を簡潔に言うなら、それはギリシャやローマなどの頃と漠然と考えていれば、話をする分には十分だろう。ギリシャ・ローマ史などはいったん横に置いて、雰囲気だけ想像していただければよい。

 歌姫や詩人と聞くと、それはそれは美しき者を想像する人もいるだろう。愛を歌い、恋を詠む、そんな者たちを想像して心をときめかせる者が多いことだろう。ただ、今から言うことも、ある意味では納得していただけるのではないか。
 今の世では、電脳世界で水色やら桃色の髪をした歌姫を、マスターと呼ばれる者たちが調教しながら歌わせると言うではないか。そしてその歌声に聞きほれながら電脳世界の民はその閑暇(スコレー)を満喫するというということだ、と。
 それならばこの時代のギリシャやローマのことも似たように思ってくれればいい。歌姫や詩人という者は、この時代では奴隷の身分が行うことだ。
 詩を書いて詠む奴隷、美しい声を持ち、風雅な歌を歌う奴隷、また、踊り子や芸人、芝居人も奴隷だった。ほかの奴隷と違うのは、奴隷でありながら、他の奴隷と区分され、家族として扱われていたことである。だからこういう奴隷は、解放されたり、または主人の妻となることもあったという(正妻ではないが)。そして、ここにつれられたのはエスタという奴隷であった。
 世にはいろいろな奴隷がある。まず、農奴(農作業を手伝う奴隷)。家政婦(家のことをやる奴隷)。鉱山掘り(こういう仕事は危険で且つ、金属やガスに囲まれると寿命が縮まってしまうため、奴隷が重く用いられた)に、荷役など、使えそうなところにはどこにも奴隷がいた。
 ギリシャならまだ、こういう仕事の奴隷でよかったが、ローマとなると、人として扱われていないと言うこともあり、およそ残虐な方向へ走る。それが剣奴というたぐいである。剣を持ち、猛獣や、または剣を持ったもう一人の奴隷と無理矢理戦わされる。殺せば勝ち、殺されれば負けという過酷なルールで。しかもこの剣奴は、男だけでなく女もいるということを忘れないでほしい。当時スパルタでもない限り強い女という者は少なかったから、基本猛獣と戦って勝てるわけがない。しかしローマ市民という者は最低であった。別に勝つことなど求めてはいない。血に飢えた猛獣がその女奴隷を食い殺すところをみて興じていたのだ。

 そうというように考えれば、彼女がディーヴァ(Diva。歌姫の意)という存在でいられることはとてもよいことであった。こうしていれば、命の危険はない。それにディーヴァはまた、美しいものとされていたから、とても重んじられた。
 ただエスタが禁じられている行為が一つどうしてもあった。それは主人以外に恋をすることだった。この家には美声年の詩人奴隷がいたが、彼女は彼に恋をすることはできなかったという訳である。
 ここで思い返してほしい。あなた方も学校なんかで恋愛が禁止されていたりしなかっただろうか。そういう場所では、むしろその制約が厳しいほど、逆数的に恋が発展すると言うことを忘れてはいないか。制約を数と考えたときに、制約の指数に対応して恋はグラフを描く。
 リーブルという名の彼はまた、エスタを愛してはいたが、奴隷身分のためにどうしてもそれを公にはできなかった。

 エスタはやがて主人にめとられることになった。この国で、彼女が市民権を得る方法だった。市民権、それは正式にこの国家の「人間」とみてもらうに必要不可欠なものだった。
 だが主人も気づいていないわけではなかった。エスタが本当に好きであるのは自分ではない、リーブルだと。
 そして、少し考えた結果、自分を本当に好きでいてくれる者がよいと思っていた少年時代を思い返すことになる。そんなディーヴァはたくさんいた。彼のカリスマ性は少々大きいほうだったのだ。
 彼は知り合いの役人スピノザにそれを話した。スピノザはいった。「要は二人を解放すると言うことですね。私にかかれば、焼き菓子の一片ほどのことですよ」

 しかし彼女は恋をする一方で解放されることを望んでいるわけではなかった。主人のその話にもうれしそうではなかった。彼女はいった。

 「私はディーヴァであり、聞く人がいなければ、その意味をなしません。彼は詩人であり、詠む人がいなければその意味をなしません。ですから、解放されても私たちのフェイト(fate。運命)には全くいいものではありません」
 主人はそこでいった。
 「ならばそれを多くの者に披露するのはだめなのか?私は披露の会場なら簡単に金を出して作らせることができる。私はパトリキだから、私がそれをすることに不満は言えないだろう」
 そして彼は続けた。
 「私が上の身分だから、従属する、というのであればいい歌は歌えないだろう」

 これは主人が芸術に対する態度そのものを示していた。彼は芸術を司る者は、ほかの農奴たちとは区別されるべきだ、という考え野本、それに踏み切った。美しい歌姫を手放すことは苦しい選択だったが、しかし幸せならどんな形でもいい、と彼は考えていたから、そう踏み切り・・・。

 そして、それは芸術の発展とともに彼の家系の発展を迎える結果となったのである。芸術を大成させるに至った男として。
 その国は小さく、つぶされてその家系の名前は忘れられたが、しかし芸術を各国で司る者たち、いわばアーティストには、かなり近い遺伝子情報、もっと言えば共通する祖先の遺伝子を含んだ者たちがいるという。
 今でも、彼の血筋はつながっているのだろう。そういうことに思いを馳せつつ、その伝説の芸術の家系についての話は、ここで筆を置くことにする。