掌編、突っ込んでみました
うつくしいもの
秋は連休が多く、時に『シルバーウィーク』なるものが生まれることがある。
そんな或る連休初日、私は直前まで猛威を振るっていた夏の猛暑と台風の繰り返しによって暫く中断していた趣味の散歩を再開することにした。
とはいえ、ルートは簡単だ。
始めるにあたっては、先ず、歩くための大義名分を作る。
今回の場合は、『買い忘れた本を買う』だ。
これだけで、駅前まで歩くという理由が作られ、少しだけモチベーションが上がる。
そうなったところで、いつもより少し大回りして駅前まで向かい、書店で発売日に購入出来なかった文庫本に手を出し、普段は月曜の帰宅時に立ち読みする漫画雑誌を土曜日である今日、コンビニで立ち読みし、暦の上ではとっくに秋なのに、ひと月も遅れてようやく秋になりかけた清涼感を満喫しつつ帰途につく。
そんなスケジュールをこなし、最後のステップである『帰途に着く』途中の出来事だった。
きっかけはなんでもない、ちょっとした空腹感だ。
それで、今日は何も食べていないということを思い出した。
幸い駅から家までの間には、何軒かファミレスがある。
どれかを選んで、すっかり遅くなってしまった朝食兼昼食でも摂ることにしようか。
そんなことを考えながら国道沿いを歩いて、一軒目を見送る。駐輪場に近所の高校のステッカーが貼られた自転車が並んでいたからだ。このファミレスは学生御用達で、自転車が並んでいることを考えれば休日の部活帰りの学生が、騒いでいる可能性が高い。そういう場所で、いい年をした大人が学生の邪魔をするように一人飯というのも、いかがなものか。
そんな訳で、暫く坂を登る。僅かに滲み出るようになった汗と共に、空腹感も増してきた。そして、ようやく二軒目のファミレスの駐車場に差し掛かって再び、学生の所在を予測するべく駐輪場を確認しようとした、その時だった。
「すみません、このバイク、撮らせてもらってもいいかね?」
ふと、声を聞いて視線を遣ると、壮年の男性が駐輪スペースに置かれた中型のオートバイと、その所有者らしい、ライダースジャケット姿の青年に声を掛けているところだった。
店から出てきたところだった青年に、男性が声を掛けたらしい。
私は何となく興味を惹かれ、男性が『撮りたい』というオートバイを覗き込んでみた。
駐輪スペースにはポツポツと、原付やら自転車やらが置かれていたのだが、そのオートバイの周囲だけ、まるで警戒線を張られたようにポッカリと空間が開いていた。
私があまり詳しくない所為かもしれないが、件のオートバイは特にこれといって珍しい車種ではないように見える。
ただ、一つだけ、目立つことがあるとすれば、使い込まれた印象があるにも関わらずその車体が輝きを放っていることだ。
これでは、駐輪スペースを利用する人も迂闊にこのオートバイを傷つけてはいけないと思うのも、無理はない。
「え、あぁ。別に構いませんけど、普通のCBRですよ? 多少弄ってあるけど」
突然の呼びかけに、青年は些か戸惑っているようだった。
しかし男性は、臆すること無く会話を続けた。
「……みたいだね」
言いながら、ちょっと古めかしいカメラでバイクを撮り、それから青年に向け微笑む。
「……でも、そういうことじゃないんですよ」
私は何となく、その光景に見入っていた。
いや、私もまた、男性同様魅入られていた、というべきだろうか。
ワックスがけをしているのか、新品であるのか、そんなことを無視した何かを、そのオートバイに感じていた。
「君、このバイクを買って何年くらい経つんだい?」
「……三年くらいですかね」
「……そういうことだよ」
思い出すようにしながら答えた青年に向けて、男性が再び微笑んだ。
「実は私も昔、バイクが好きでね。……いや、正確には、乗り物が好きなのかな。車やら自転車やら、色々と凝ったものを持ってたんだ。……まぁ、道楽だったんで嫁さんに怒られて、売ってしまったけどね」
「……なるほど、そういうことですか」
青年が、少し納得したように、ようやく微笑んだ。
「大切に手入れしているものは、年月が経ってもとても美しく見えるんだよ。私も趣味でそういうものを見てきたから、君のバイクを『そういうもの』だと思ったんだ。もしかしたら違うのかもしれないけれど、それはそれで構わないんだ。自己満足でも、自分がうつくしいと思ったものは、その姿を残しておきたいじゃないか。……引退して、ジジイの『道楽』がようやくまた、出来るようになったんでね」
男性が、にっこり微笑んで、ちょっと古めかしいカメラを掲げてみせた。
『ちょっと古めかしい』。
そう表現したが、よく見ると違うらしい。
最近ではほぼデジカメに取って代わられた、フィルム式のカメラ。その中でもかなり古いものだ。
(……なるほど)
私はそれ以上のやり取りを聞くこと無く、駐車場からファミレスの入口に歩み始める。
男性の持っているカメラは、昭和の半ばに流行った、今ではアンティークと呼べる品物だった。
しかし、それでも尚、よく手入れされた『うつくしいもの』だった。
入店を果たしたファミレスで定番の和風ハンバーグセットを頼んだ後、窓の外にトリコロールの残像を残しながら走り去る青年のバイクを見かけて、また目を奪われた。
確かに、男性の言うとおり、惹きつけられるものを感じる。
私はふと、『付喪神』という単語を思い出していた。
永きに渡り大切にされた品に魂が宿るという、『思想』というか、『迷信』のような話だが、この時ばかりは、確かにそのくらい印象に残る『うつくしいもの』なのだな、と、妙に納得した。
果たして、かのオートバイやカメラは、魂を持つに至るのだろうか。
その可能性はかなり低いが、いつかそんな日が来たら、彼らに問いかけてみたいものだ。
――――『君の主はどんな人だった?』と。
作品名:掌編、突っ込んでみました 作家名:辻原貴之