夜が攫いに来る前に
「夜があなたを攫いにくる前に、眠ったほうがいいよ」
に、で一旦言葉を区切ったとき、ふうと可愛らしく息を漏らしたのを見て、何だか意外な感じがした。そういう無防備な姿はさらけ出さないタイプかと思っていたからだ。隣に腰掛け、横顔を見つめた。東洋人特有のつるりとした肌が愛らしい、未だ子供だわ―――、マージョリーは思った。
「あなたは眠らないの?」
横尾燕、尋ねてみる。ついでにフルネームで呼んでみる。するとわずかに目を見開いて、すぐまたもとの微笑をたたえた横顔に戻った。燕とは鳥の名だと、たれかが云っていた筈だ。マージョリーの脳が、奇跡的にそらに関すること以外を覚えていた。マージョリー自身、この偶然に驚いていた。
横尾は結局マージョリーの問いかけに答えなかった。その代わり、昔西洋人が恐れたという、日本人のみが持ちうる謎めいた微笑をたたえつづけた。自分の問いかけが、たれにも受け取ってもらえず宙に消えていくのをマージョリーはあまり気にしない。元々何も考えずに発せられた問いであるし、彼女の問いは独り言とほぼ同類であった。
夜に、柔らかな微笑と、栗色の髪がひろがる。安心に似た温かい温度が、身体全体を包む。
マージョリーは夜に愛された子供に、ひとつキスを落とした。ひんやりとした月の味がした。