N.O.R(1)
「……ちくしょー、まだ夜にならないのかよー」
誰に聞かせるわけでもなく悪態をつくと、アキラは目覚めてから何度目かの寝返りを打った。
昼間に眠りすぎているため夜になったから眠れるというわけでもないのだが、それでも、なにも自分からはする事がないアキラには、夜という時間が何故か待ち遠しい。
原因不明の出生率低下により全地球上の人類の生息数が減少をはじめて約千年。多くの混乱を経ながらもやがて人類は、自らが持つ全リソースを、人類の血を少しでも長く先に残す事に費やし始めた。しかしその必死の努力も虚しく、今、地球上に残された人間は、この「アキラ」という十六才の男子ただ一人となってしまっていた。
「退屈ならば、アーカイブの中から映画でも再生しましょうか」
「……うるさい! お前は俺が話しかけるまで黙ってろって言っただろう!」
話しかけられた声に怒鳴り声を返すと、アキラはふて腐れたように再び寝返りを打った。アキラの後ろで無表情に青年姿のアンドロイドが気配を消した。
このアンドロイドの正式名称が何と言うのかをアキラは知らない。出産と同時に母親が死んでしまったアキラの周りには、生まれた時からずっと、彼の世話をする為に用意された何体ものアンドロイドがいた。女性形や男性系、遊び相手の子供型や彼に教育を施す為の教師型のアンドロイドもいた。しかし、学習により人類と自分の現実を知ってしまったアキラは、彼を育ててくれた彼を取り巻く人たちが、実はすべて、人間ではない生命を持たないアキラとは違う作り物のロボットだという事を知ってしまったのだ。
人類の残存数が減り続けるうちに、次第に人類の遺構は、すべて人類の存続を目的とした一つのシステムに統合される事となった。各種のプラントや環境の監視施設、研究施設、通信、流通システム、その全てが、人類生存の環境を維持する目的のもとにまとめあげられた。残存数の少なくなった人類一人一人をフォローする為に作り上げられた、各種のアンドロイド達も、勿論そのシステムの一部として組み込まれている。つまりは、彼らアンドロイドは、アキラを取り巻く巨大な人類遺構のネットワークシステムのインターフェースの一つにすぎなかったのだ。各種のアンドロイドが個性としてみせていた顔も、プログラムによって作り上げられた、一つのネットワークシステムの分裂した表情の一つにしかすぎなかったというわけだ。
それを知ったときアキラは、発作的に、今、目の前にいるこの青年男性型を除くすべてのアンドロイドに休眠を命じた。なぜそんな事をしたのか、今のアキラにはその時の自分の行動の理由が少し理解出来るような気がする。
自分が地球上でただ一人残された人類だということを、知識ではなく、実感としてはじめて理解した時の、底なしの心細さ、不安、根拠の見えない憤り。
そんな物をぶつけられてもアンドロイド達だって迷惑だろうとアキラは思う。アンドロイドに育てられたアキラにとって、彼らは母で父であり祖母であり祖父であり教師であり友人であり、彼にとってはどうしようもなく慕わしい存在だった。しかし、自分がただ一人残された人類である事と、彼らアンドロイドが自分とは違う作り物だと知った時の戸惑いは胸の奥に凝り固まって、自分では抑えきれない事もアキラにはわかった。その憤りの感情をぶつけてしまう相手として、彼を育て面倒を見てくれたアンドロイドたちの中からアキラがただ一人選べたのが、今、後ろ呼吸音一つたてることなくアキラの指示を待ち続ける、青年の姿をした個体だけだったのだ。
「……目なんて、覚めなきゃいいのに」
呟きながら、アキラは再び目をつぶった。
実はアキラには、自らの命を絶つという選択肢も用意されている。彼が命じさえすれば、彼の命令に絶対服従のアンドロイドは、一切の苦痛を感じさせないように彼の命を絶ってくれることになっている。しかも、実際に自分で明確な決断を下すことが出来ないならば、ランダムな日時にアキラ自身が気付かないようにそれを実行してくれるよう頼む事も出来る。アキラが自ら命を絶った場合には、彼らアンドロイドはアキラの意思を尊重し、アキラの延命措置を施さないようにプログラミングされている。実際に現実を理解した後のアキラは、何度も何度も自らの命を絶つ事を考えた。生命のないアンドロイドに囲まれた、滅びてしまった人類の残した夢の残滓のような、誰に引き継がれる事もない自分の人生。それをただ一人で生き続ける事の苦痛。これを確実に終わらせる事が出来るなら、一体どれだけ楽になる事だろう。
しかし結局、ただの一度も、自らを消してしまう計画を実行に移す事は出来なかった。
自分が死んでしまった後の世界のことは大体予想がつく。その無人の世界が、アキラが死ぬ時期によって数十年単位で早く訪れるか、遅く訪れるか。数十年という、地球の歴史にとって短すぎるくらいの時差。アキラの死ぬ時期など、ただそれだけの問題なのだ。
しかし、自分が命を絶った後の事を想像はできるが、それでも、本当に死んでしまったアキラには、自分が死んだ後の世界の事を確認する事は出来ない。その先の世界は、生きているアキラには絶対に見通す事の出来ない、朧げな闇の中にある。それは、自分たちの滅亡が避けられないものとなった人類が心の中に抱えた闇と同じだったのだろう。自分たちが消えてしまった後に訪れる、自分たちを取り巻く、絶対に見通すことのできない闇。その闇を恐れた各種の行動の結果が、今のアキラそのものだ。
その人類が抱え込んだ闇を、アキラは一人で受け継いで、今ここに生きている。そして、アキラの命が尽きるのと同時に、その闇が、人類とアキラの全てを飲み込み尽くすのだ。
「……ちっくしょー」
小さく呟くと、アキラは再び寝返りを打った。
自分にはどうやっても対処できない、アキラを生かす為のシステムも対応出来ないような天変地異が突然起きて、自分と自分の全てを飲み込んでくれるといいのに、と時々思う。そうでもしてくれないと、彼には、自分から闇に飲み込まれる勇気は出ない。
そして、そんな事は今まで一度も起きず、そしてこれからもきっと一度も起きず、アキラの人生は特筆するような何事も起きる事もなく、死んだように眠ったように続いていくのだろう。
眠りすぎて眠気などどこにもないのに、アキラはそれでももう一度眠れるように、無理矢理自分の目をつぶる事にした。