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この両手で掴むもの

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こと、と音を立てて万年筆を置く。ペンを進めるも先が浮かばず完全に止まってしまい、それならいっそと手を離した。大きく伸びをして凝り固まった体を解す。自然とこぼれた長い息に水色が揺らいだ。
「ご主人様、休憩しますか?」
 よっつの角がピンと伸びた。待ってましたと言わんばかりにしっぽを揺らして寄ってくる。淡い水色を湛えた彼女はよっつの足を交互に動かして、そしてできるだけ足音を立てないようにそっと歩く。
 ふわふわの毛皮とよっつの角。そして長いしっぽを持った彼女は俺のメイドだ。

 ソファにかけてあった白い布を銜えて、器用に自身の背中に放り投げていた。半分は成功。半分は失敗。中途半端に広がって、でも端は折れた白色は彼女の上に乗ってぶら下がっていた。
「紅茶がいいな、ほら、この前買ってきた新しい葉のやつ」
 休憩には必ず俺のリクエストを聞いてから用意してくれる。初めのころに比べれば随分と彼女のレパートリーも増えた。紅茶、は最近加わったそれのひとつ。そして彼女の好きな飲み物のひとつ。
 わかりました、という返事もそこそこに水色の彼女は白色と格闘していた。前脚を使い、後ろ脚を使い、どうにか身に着けようとしている。いつも、そういつも結局ひとりで出来ないくせに、絶対に手伝ってと言わないんだ。君は。

 椅子をきっちりと机に収めてから、彼女へと近づく。ほんの数歩で手の届く距離になる。白色を取り上げて、パンと音をならして広げる。あ、と小さく声が聞こえた。
「あの、ですね、私だって出来るんですよ、ひとりで」
「うん、知ってるよ」
 長いリボンのついたエプロンを彼女に当てる。皺のつかないように綺麗に伸ばしてから長いリボンを交差させる。
「ご主人様がやらなくても、」
「うん、出来るもんね」
 きゅ、と布の擦れる音が鳴って、エプロンは彼女のものになった。
「だから、あの、」
「はい、出来上がり」


 この時だけは、俺が人間で良かったと思う。二本の腕は彼女が出来ない事を代わりにやってあげることが出来る。たとえば背中で蝶々結びをしてあげるとか。たとえば頭を撫でてあげるとか。

 たとえば人の目を気にせずに、この腕で抱き締めることが出来ればどんなにいいだろうと、もう何度願ったかわからない祈りを反芻する。
 俺は主人。彼女はメイド。
 俺は人間。彼女はドラゴン。
 わかりきった事実は今更覆ることもなく、変化することもなく。現実だと突きつけられる。それでも彼女と一緒に居ることは、俺が願う限り叶えることが出来る。そのための力だ。あんなに憎んでいた家の名前がこんなところで役に立つだなんて、ほんの数年前のまだ青臭い俺は思いもしなかった。


 なにか物言いたげな表情で見上げられる。茶色の瞳は俺を映して揺れている。さて、と床に落ちていたヘッドドレスを拾う。エプロンと対になっている白色も、彼女が持って来たもので落としたもので身に着けるものだ。そして身に着けられなかったもの。
「出来ますよ!」
 水色の頭に載せる。縁取りはレースでひらひらしていて、彼女のふわふわした毛皮と混じっている。境界線が溶け出しそうで、この色のコントラストが綺麗だなあだなんて、密かに思っている。本人には伝えていないが。
「うん、知ってるよ」
 何度目かに口にする同じ台詞。サテンのリボンは手触りが良く、するすると手の中を滑ってゆく。よっつの角の間を通すと不満の交じった、でもそれだけでない表情で見上げられる。じっとしててねと声をかけてリボンの形を整える。もう何度もこうして結んでいるリボンは一度で左右均等、一番綺麗な形で蝶の形を作った。
「お待たせ」
「・・・はい、待ちました」
 白いエプロンと白いヘッドドレスをつけた俺のお嬢様は俺のメイドさんになった。
「ご主人様の好きな紅茶だって、上手に淹れられるんですよ!」
「うん、知ってるよ」
 くるんと振り返りエプロン姿を見せてくれる。水色の顔を赤くして、少しだけ頬を膨らませて、水色のしっぽを残してキッチンへと進み、消えていった。


 胸に入った懐中時計を取り出す。彼女の歯形が控えめについたそれを開く。
 きっちり五分間。五周針が回ったら彼女の後を追って紅茶の様子を見に行こう。

 窓の外を見る。彼女と同じ色をした花が咲いていて、なんて名前だったかなと思いだせないまま揺れていた。五分後に名前が出てこなかったら彼女に聞いてみようと柔らかい午後の陽ざしを眺めていた。
作品名:この両手で掴むもの 作家名:コメ