夜想曲
奏でる、静かな夜想曲。
雨の流る窓硝子。
水滴の粒が黒い陰となり、この部屋を照らし出すその光に紋様を落とす。
鍵盤に浮かぶ黒い斑点。
つぅ……と流れ落ちる、黒い水滴。
白い鍵盤の上を滑り去り、そこから消えた。
ここで時を刻むのは、只流れる雨の音。
時計はもう無い。
僕が壊してしまった。
あの秒針の進む音が、この世界が回っている事を嫌でも示したから。
本も絵も無い。
終わりにくるのは、いつも僕達には当てはまらない終幕。
だから本はもう、この部屋には無い。
カンバスに描かれる『変らない時』は、創った者の只の嘘。
だって、変らない時ならば、ここに君が居る筈だから。
だから絵は、飾らない。
君じゃない。
僕じゃない。
そんなものならば、僕にはいらない。
僕と君。
それが全て。
今、寄り添えどふたり、心は離れた何処かに在って。
暗い部屋。
僕と君。
月明かりが唯一の光。
只一つ、ピアノだけを残して消えた。
君は。君は。
君の残したもの。
君の託したもの。
君は今、ここに居ない。
君と、僕と、たった一つ、残されたピアノ。
だから僕は、君を想い奏で。
『思い出』という『曖昧』にならぬよう、今を。
この今を、奏で、奏で。
僕は。僕は。
終わらない夜想曲。
この指の先、盤に落とすたび思いを流す。
君と僕。
ふたりで居られた夜を想う。
聴く人は居ない。
君は居ない。
僕は止まらないこの詩を唄い。
僕は止まらないこの曲を奏で。
君が居れば。
君が居れば。
君の瞳に映るなら。
仮定の世界は幻想という事実。
君へ。君へ。
想う。唄う。
君の居る場所へ、届けないこの音を。
僕はこの部屋の鍵を持たない。
誰か鍵を開けるまで、僕は。
僕は。
暗い部屋。
月明かり。
一台のピアノ。
白鍵が色を変える。
黒鍵が数を増す。
奏で、奏で。
想い出に成らないで。
唄う、唄う。
君は聴いてくれている?
月明かりに照らされた部屋は、音に溢れ。
一台のピアノは黒鍵の数を増やしてく。
君と僕。
ふたりの人。
僕の手は君色に染まりながら、この白い鍵盤を共に染める。
白と黒。
二色の鍵盤。
白い盤は黒く染まり、歪んだ音色を響かせる。
黒鍵と同じ、黒鍵とともに。
僕は。僕は。
奏で。奏で。
君と言う存在の居ない部屋。
僕と言う罪人の檻。
君が消えてしまうなら、僕は。
君を僕に。僕を君に。
黒い鍵盤、白い鍵盤。
指を落とす。
白は黒に染まる。
染まる、染まる。
ピアノから、白鍵を消してゆく。
そうすれば、君は、僕に生る。
君で、僕。
夜は更けてゆく。
曲は終わらない。
窓から見える、輝く星の数よりも多く、音を紡ぐ。
君へ。君へ。
僕は。僕は。
君を。君を。
僕は。僕は。
君を__……
やがて夜が開け行けば、そこには。
血に塗れて赤黒く染まった白鍵と、静かに寄り添うふたりの姿。
幸せそうに笑う顔はふたつ。
君に僕は届いたのかな?
一台のピアノ。
今は何処に有るか分からない。
けれどそれは、幾つもの夜を越え。
何処かで愛を奏で。奏で。
君に届いたこの曲を、もう一度。