深緑列車
麦わら帽子の下、更に手で庇を作りながら、眩暈のしそうな畦で、ため息をついて空を見上げた。ほう、とはきだした息すら熱く感じる。
両親に連れられ、夏休みに田舎の祖父母の家まで帰省したはいいが、いったいこの田舎のどこに人がいたのかとばかりに集まる親戚や近所の人の山にどうして
も馴染めず、私はふらりと散歩に行くといって家を出てから一時間程だろう。もともと見慣れない田舎の風景は、まるで知らぬ場所となっていた。
とにかく誰もいないどこかへ行こうと思った。それでも、行くあてもない私は、もう列車も走る気配のない線路に沿ってひたすら歩き続けていた。
綿の白いブラウスはもうじっとりと汗を含んでしまって少し気持ち悪い。ふんわりとしたちょうちん袖が気に入っている服なのだけれど。
その時、青空を切り裂いて高く汽笛が鳴った。
驚いた私は、慌てて線路を走りおりて、来た道を振り返った。
もうもうと濃い煙を上げながら、深緑の列車は少し向こうの、田畑の真ん中にぽつりと取り残されたような無人の停車場に止まった。
私はゆっくりと止まる列車を見ながら小さく首をかしげた。
ここはもう廃線になったのではなかっただろうか。
まっすぐに伸びた線路は茶色く錆び、枕木の間に草は生え放題に生え、ただの一度もここを走っている列車を見たことが無かった路線だからそう思い込んでいただけだったのかもしれない。
そもそもこんなところに駅があること自体がおかしい。
私は一体どんな人が利用するのだろうという好奇心に駆られ、その駅までの畦道を小走りに走りだした。
§
少し小高くなったその停車場を下からそっと見上げると、影になる場所もない日に晒されたそこに、いくつかの人影らしきものが見えた。その気配に違和感を覚え、私はもう少し良く見ようと爪先立ってみた。
ひゅっと、喉で息をのむ音がした。
そこは、緑の髪の毛をした人型のもの、が、停車場の上に一列に並んでいた。
その数は……三、人?
確かに一見、人なのだ。半ズボンを履いた少年と、私より年上に見えるワンピースを着た少女、それから、幼稚園児くらいの女の子。ただ、彼らは皆、緑色の髪の毛をしていて、褐色の肌で、椅子に座った足先を煉瓦造の器の中に入れている。そして一様に、微動だにせず、心地よさそうにこの真っ青な夏の青空を見上げていた。
「……よっと」
その時、開け放たれたままだった列車の扉から、ひょいと小柄な後姿が覗いた。おそらく車掌であろうという服装のその男は、やはり同じように椅子に座ったままの人、を抱えて後ろ向きのまま列車から降りてきた。
彼が抱えているのは、他の三人よりも茶色がかった髪の毛をした老婆のようだった。
それまでの三人と同じように、今度の人も並べて停車場に降ろす。
「ふぅ……今回は四人だからまだ少ない方か」
並んだ四人を眺め、車掌らしき男は額に浮かんだ汗を拭った。そして休憩とばかりに伸びをした彼と、目が合ってしまった。
「おや?」
当然、車掌は私に気づいて不思議そうな顔をした。そうして、停車場の端まで来ると、その下にいる私に声をかけてきた。
「お嬢さん、迷子かい?」
「え……」
迷子と言えば迷子、なのだろうか。あてもなく歩き続けてここへ出たものの、どこかということはわかっていない。
「まあ……多分」
曖昧に首を傾げた私を、車掌は興味深そうに見てひっそりと笑った。
「そうかい、そりゃあ良かった」
「良かった?」
「乗客でないならそれに越したことはない」
乗客。
その言葉に私は停車場の上に並んだ彼らに思わず視線を向けた。彼らは一列に並び座ったままで、微動だにせずそこに居た。いや、微動だにしないというのは間違いかもしれない。太陽の下でそよりと吹く風に肌を撫でられ、実にここちよさそうにくつろいでいるように見えた。
「あの……彼ら、は」
私は躊躇いがちに車掌に尋ねた。
「興味があるなら上がってくるかい」
彼らから不躾な視線を外せないままだった私は、少し赤くなりながら、上り階段すらついていないその停車場へとよじ登った。体を支えるために付いた手が、太陽に焦がされた地面に触れて熱かった。上がりきるところで差しのべられた車掌の手を素直に借りる。その手は普通の人間と、同じ体温だ。
「私は幸か不幸か、ただの人間だよ」
まるで私の心を読んだかのように、車掌はそう言った。
「そして――彼らも人間だよ。植物人間、だけどね」
「植物、人間……」
私は鸚鵡返しに呟いて、車掌に促されるがままに彼らの前に立った。
瞳を閉じて全身に日光を浴びている少女は、葉の緑を髪に、幹の茶を肌に纏っているその色彩は、まさに植物のそれだ。
ぱちりと、その少女の瞳が開いた。深い緑をした瞳は、まっすぐに私を捉える。
興味深そうにじっと私を見つめてくる視線をそのまま受け止めた。正確には逸らせなかっただけなのだけれど。
どうしよう、と思っていると、少女はふわりと微笑んだ。
「わら……った」
驚いて車掌を振り返ると、彼は楽しそうに私と彼女を眺めていた。
「そりゃ笑いもするよ。人間だからね」
陳腐なたとえだけれど、それはまるで花が開くような笑みだ。そうか、彼女たちはそのために生きているんだと唐突に理解した。
「…………羨ましいな」
ぽつりと零した言葉に、車掌が少し顔を曇らせた。
「もしかしてお嬢さんは乗客だったのかい?」
「え?」
「この深緑列車に、乗りに来た子だったのかい?」
車掌の慎重に探るような視線に、私は少し鼓動が早まったのを感じる。
「乗ってもいいの?」
「選ぶのはお嬢さんだ」
§
そうして深緑列車は走りだす。
向かう先は太陽の下、彼女たちがその光を受け笑顔を花開かせる場所。
車掌は言う。
時折立ち寄る駅で、乗車権をお手にするかはあなたが選ぶことですよ、と。