観賞
「何だァ?」
赤い髪の男はふと興味を惹かれて牢に向かっていた。
いつもと同じ、顔の上半分を黒革で覆い、素肌の上に赤いパーカーを引っ掛けただけの姿だ。黒いブーツがゴツリと音を立てて灰色のコンクリートを踏む。
狗の声は更に五月蝿くなっている。聴覚を占領せんばかりの音量に、赤毛の男は辟易したように肩をすくめた。
面倒臭そうに欠伸をした赤髪は、横の通路から不意に現れた黒い人物に、器用に片眉と口の端を吊り上げた。
「よォ、【処刑人】」
神出鬼没の黒い人物は単なる物を見るような無機質めいた視線を一瞬赤髪に向けただけだ。
もっとも、この男はいつ何に対してもこうなのだが。
赤髪はこの硬質なガラス玉のような瞳を持つ男が寝ているところを見たことがない。
赤髪は寝る気になればそこらじゅうどこででも、それこそ腐臭のする牢の中でもシエスタできる異常な神経の持ち主だ。死神は彼の寝顔を見たことがあるかもしれないが、眼窩をすっぽりと覆った黒革のせいで寝ているのかそれとも黙っているだけなのか、区別がつかないに違いなかった。
それを死神が気にしているかと問われれば、8割の確率でNOだと赤狗は思っているが。
とにかくも死神の甚だ人間らしくない振る舞いの為に、赤狗は彼をアンドロイドか何かと思ったこともあるくらいだ。
その疑問は抱いてすぐ解消された。何度か流血沙汰を仕掛けたことがあるからだ。
こんな人間がいるということの方がアンドロイドが開発されたとか言うことよりも余程不思議なのだが、どうやらこの「黒い奴」は人間らしい。
気付かなければ一切気配を感じないのに、気付いた途端圧倒的な存在感を圧力を放つ。
宇宙人と言われた方が赤髪は納得するかもしれない。
「今度は楽しいのが来たのかねェ?」
犬の騒ぎ立てる声は更に近づいている。人の声も聞こえてきた。
複数の男の気合と怒声、狗の空恐ろしい獰猛な唸り声。
「ハハァ、こりゃ楽しそうじゃねェか」
赤髪がにいいと唇を三日月の形にする。
どこからか現れて彼の手の中でくるくる回るのは大振りのナイフだ。
死神はこそりとも音を立てずに黒衣を翻して牢への道を進む。
牢の中には3人の男たちが背中合わせになり、巨大な2頭の犬と対峙していた。
それぞれに武器を持っている。剣、銃、ナイフ。近くに壊れた弓が転がっていて、犬の背中には矢が何本か突き刺さっている。
「ハ、今度の暇潰しは負け犬の相手かよ」
赤髪が愉しげに呟く。
ここには、世界最大と言われる金持ちのギャンブル『闘技場(コロッセウム)』の試合に敗れた闘士が送られてくることもある。
全ては闘士のスポンサーの意向だ。
「屍肉を喰らう薄汚い虫ケラ共が……っ」
男たちのうち一人が牢の入り口に立つ二人に気付き、強烈な侮蔑の言葉を寄越す。
憎憎しげに歪めた顔はそれほど野卑でもなく、赤髪だったら「お育ちがイイお嬢ちゃん」と皮肉っただろう。
彼らとて、話を、噂を聞いてはいるのだ。
未曾有の災害を引き起こし捕まるも、取引により自分の命を買って生き永らえた『元・死刑囚』。
水面下に潜みながらも自ら檻に入った『最悪の異端』は、現在は「おとなしく」死神をしている。
時には権力者の娯楽で、時には陰謀の果てに失脚した人間、時には不要となった合成獣キメラなど様々な生物が投げ込まれる、ゴミ溜め。
ここに送り込まれる生物に共通しているものは一つ。
『何処かの誰かにとってゴミ同然の命』
「ゴミは掃除しなければ」誰かが言ったのが始まり。
権力者たちの操る鎖の先、「ゴミ」を始末するのは狂笑と絶望。
人間だけならば何とかなる、と三人の男は考えていたかもしれない。しかし此処に来てすぐ巨大な犬に襲い掛かられ、彼らの自信は消えた。
剣で切り裂こうと銃弾を撃ち込もうと矢を打ち込もうと堪えた様子も見せず喰らいついてくる。
深く打ち込んだ筈の矢は既にほとんどが抜け傷口にはピンク色の肉芽が盛り上がるのみ。
―――化け物。
「おォっと、旦那、どれがいいか言ってからイけよ。俺の取り分もあるんだぜ?」
くくくくく、と喉で笑った赤髪は足を黒衣の前に突き出して通せんぼをしている。
3人の男たちはその足が切り落とされる様を幻視した。
初対面の者でさえそんな所業をありありと想像できる重圧を内包した視線を受け止め、赤狗はにやにや嗤っている。
正気の沙汰じゃない。
武器を構えた男たちは同時にそう思った。
ふと、犬たちが後退しているのに気付いて彼らに余裕が戻った。
―――このけだものさえどうにかなれば。
「ンじゃアそっち二人な」
一体どういうやり取りがあったのか。
二つの狂気が男たちに向き直った。