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家族ごっこ【上】

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#1


 坂上修一は、同じ新聞部に所属する倉田恵美にひそかに想いを寄せていたが、卒業を間近に控え、進路が別れてしまうことを契機として、三年間温めてきた想いを彼女に打ち明けようと思い至った。叶う恋だとは露ほども思っていない。いつだったか、彼女が「年上がタイプだ」と話しているのを聞いたし、ぱっとしない平凡な自分のことなど眼中にないだろうと考えていた。だから、卒業式の日に告白をして、きちんと気持ちに区切りをつけたかったのだ。しかし坂上は偶然、卒業式前に恵美と一緒に帰る機会に恵まれた。
 
「坂上君、卒業後はすぐ就職するんですってね」
「うん、そうなんだ。親戚のおじさんの紹介で、印刷会社に置いてもらえる事になって」
「要するに、コネよね。私の家なんてそんなつてもないから、地道に大学行って人脈作りに励むわ」
「すごいなぁ倉田さん。しっかりしてるね」
 他愛もない会話を交わしながら、坂上の心の中で囁く声があった。
 
 チャンスじゃないか。夕暮れ時にふたりきりなんて、滅多にあることじゃない。卒業式の日は、呼び出せたとしても人目は避けられないぞ。──告白するなら、今しかない。
 心臓が、バクバクと激しく脈打っている。坂上は汗ばむ手を握り直して、生唾を飲み込んだ。
 
「倉田さ……」
 
 一瞬の出来事だった。猛スピードで背後から迫ってきた白いワゴンが、恵美の華奢な身体にぶつかって跳ね上げたのだ。鈍い音をたてて地面に落下した彼女を、白い車体は再度ひいて走り去った。坂上は開ききった眼を地面に落とした。通い慣れたアスファルトの舗道に、引きずったような赤い線が走っている。投げ出された鞄に、土色のタイヤ痕がくっきりと残っていた。ゆっくりと視線を移していくと、流れ広がってゆく血だまりが目にとまる。
 
「……あ…」
 
 いざというとき、絶叫などなかなか出ないものだ。ひきつった喉からもれたのは、掠れた呼気だけだった。脱げかけたローファー、砂とも血ともつかないもので汚れたソックス、不自然な方向に折れ曲がった足腰、潰れた胴体。俯せの顔はこちらからは見えない。制服の袖から覗く白い指は、何かを掴もうとするように地面に食い込み、爪がはげているのが確認できた。
 
 それから何をどうしたか、よく覚えていない。テレビの画面を外側から眺めているような心地で通夜に参列し、気付いた時には卒業式も過ぎていた。
 
 春、入社式を済ませた坂上は、早速忙しく仕事に追われる日々を送ることになった。与えられた職務に打ち込んでいる間は楽だった。何も考えずに、ただ目の前の事に集中する。大したミスもなく業務を覚えていく坂上に皆が感心した。
 
 
「坂上君」
 
 一週間ほど過ぎたある日の昼休み、先輩の女性社員に声をかけられた。おとなしそうな人だと思っていたので驚く。
 
「はい?……ええと、」
 
 名前を思い出せず言い淀んだ坂上に、彼女はネームプレートを見せつけて微笑んだ。
 
「元木早苗です」
 
 大きな瞳、白い肌、全体的に小作りな顔、小柄な体格。今時染めもせず後ろで束ねられた艶やかな黒髪が、清楚な雰囲気をいっそう引き立たせる。
 
「あ、坂上修一です」
 
 時々見かけるので顔は覚えていたものの、彼女とはセクションが違う。恐らく挨拶したこともなかっただろう。同じ社内とはいえ、業務が違えば面識がないのも珍しいことでは無かった。
 
「知ってる。私も鳴神学園出身なんだよ。話したことはないけど、何回かすれ違ったことはあるんだ」
「よく覚えてますね、そんなこと……」
「覚えているわけじゃないんだけど……」
 
 元木早苗はそこで言葉を濁し、唐突に話題を変えた。
 
「おばあちゃんに聞いたんだけど、貴方、恋人を亡くしたばかりなんでしょう?」
 
 正確には恋人ではなく、片想いの相手だ。参列した生徒たちの中にも勘違いしている者がいたが、いちいち訂正せずに放っておいた。それが巡り巡って彼女の祖母の耳に入ったのだろう。坂上は早苗相手にもやはりわざわざ否定する気になれず、かといって肯定もせずに苦笑した。
 
「心配なの。毎晩、同じ夢をみるでしょう?事故の時の夢」
「え?どうして元木さんがそれを……」
 
 確かに、毎夜うなされていた。しかし誰にも話したことはない筈だ。早苗は質問には答えず、「放っておくと、よくないよ。忘れる必要はないけど、ちゃんと前を向かなきゃ」と指を立てた。
 前を、向いているつもりだった。だがもしかしたら、無理に忘れようとしていただけなのかもしれない。
 
「だからね、坂上君。私の友達に会ってみない?」
「……はい?」
「玲子ちゃんって言うの。彼女も最近恋人が亡くなって寂しいんだって」
 
 なるほど。結局この人はそれが言いたかっただけなんだな。見ず知らずの相手にどうしてそこまで親身になれるのかと訝っていたが、謎はあっさりとけた。坂上は拍子抜けし、少しがっかりしたものの、これも何かの縁かもしれないと考えた。
 
「わかりました。その人に会ってみたいです」
 
 早苗はその場で相手に電話をかけ、約束をとりつけた。
 
「じゃあ、今週の土曜日、10時に駅前でね」
 
 その夜、夢は見なかった。
作品名:家族ごっこ【上】 作家名:_ 消