小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

星の残骸

INDEX|1ページ/1ページ|

 
「あなた、恋してるわね」
 図書室で本の返却手続きを行っていた裕香の頭上に、女の声が降りかかった。顔を上げるとカウンターの向かいに教師が立っている。右手に森鴎外、山椒大夫。
 現代国語の竹川だった。
「これ、頼むわね」
 竹川がカウンターに置いた山椒大夫を裕香は裏返した。バーコードを貼り付けられ見るも無残な裏表紙にリーダーの光を当てる。貸し出し手続きを済ませて竹川に返した。
「返却期日は一週間後の夕方五時です。延滞すると罰則として一ヶ月貸し出しできませんので、必ず期日内に返却をお願いします」
「まあ、機械みたい」
 本を口元に当てて笑う竹川に裕香は眉をしかめた。本に口紅がついたらどうするつもりだ。裕香は竹川が好きではなかった。教師としても、一人の人間としても。
「一週間を超えるとどうなるのかしら」
「そうならないように返却してください」
「ちょっとぐらい……ダメ?」
「先生は先生ですから。ルールは守っていただかないと」
「融通きかないのねぇ」
 竹川は丈の長いスカートを足にまとわりつかせながら、カウンターへ腰掛けた。
「降りてください」
「ねえ、当たってたでしょ?」
 竹川の問いに裕香が答えられずにいると、さっきの話よ、と竹川が告げた。
「恋をしているでしょ、って話。覚えてる?」
 数分もたたぬうちから忘れる者がいるわけがない。それはただの馬鹿だ。つまり竹川はそう言いたいのだ。裕香はパソコンの電源を落としてカウンターから出た。話すことは何もない。鞄を手にして、鍵を探す。こんな時に限って見つからないのだ。
「私だってちゃんと先生してるんだから、あなたの名前ぐらい覚えてるのよ? 聞いてる? 新井サン、ねぇ、あなた昨日、短冊を吊るしてたでしょ。運動場の笹に」
 裕香の通う高校は小中高と一貫で、グラウンドは全ての学生で共有していた。七夕が近づくと、小学校の七夕祭りに備えて笹がグラウンドに立てかけられる。藤棚の柱やら遊具やらの適当な場所にいくつも括りつけて立てかけられた笹には、小学生の作った七夕飾りが結わえられている。勿論、短冊もだ。中学と高校には七夕祭りがないものの、学生の間では目立たない笹に短冊を括りつけておくのが通例であった。今年は、裕香も短冊を吊るした。乗り気でない裕香に、友人が面白がって短冊を押し付けたのだ。結局、誰もいない放課後にこっそり書いて吊るしておいた。
「私、みちゃった。あなたの願い事」
 嬉しそうに笑う竹川に裕香は吐き気がした。同時に自分を殺してやりたいと思った。この女に見られる可能性をどうして考えなかったのか。理由はわかっている。浮かれていたのだ。
「せんせいがすきです、あらいゆうか。フフッ、ぜーんぶひらがなにしちゃって可愛いのね。小学生みたい」
 人のいない図書室に竹川の声だけがキリキリと空気を締め上げるようだった。
「先生って、あの人でしょう。高野先生。人気者だものねぇ、爽やかで優しくて。でも意外。新井さんも好きだったのね」
「私じゃないです」
「ウソね。リボンで結んであったもの。白地に赤いラインの入ったリボンよ。図書室の栞に使ってるじゃない。ひと月に十冊以上借りるともらえるのよね? ほら、このリボンよ」
 竹川はカウンターの内側から一枚の栞を引き抜いた。白地に赤いラインのリボンが結び付けられた、紙製の質素な栞だ。裕香は舌打ちしたが、それは竹川に聞こえなかったようだった。
「ねえ、でもね、新井さん。高野先生はやめておいたほうがいいわよ」
 猫が目を細めるようにして竹川が裕香を見た。脚を組み替え、髪を手で梳く。教師らしからぬ仕草は裕香を挑発している。
「あの人、気に入らないことがあるとすぐに殴るんだから。新井さん、せっかく綺麗な顔してるんだもの。大事にしないとね」
「やめて……!」
 指先に触れた鍵が、興奮した裕香の熱を一気に吸い取って行く。そうだ、ここは学校の図書室だ。裕香は生徒で、竹川は教師だった。ただそれだけの関係だ。
「先生」
「なぁに? 新井さん」
「下校時刻を過ぎています。そろそろ閉めないと、放送で呼び出されるので」
 落ち着きを取り戻した裕香の声を、竹川は鼻で笑った。その袖口から覗く痣に、裕香は気が遠くなる。
「あなた、ホントに優等生ね」
 蔑むような声を聞きながら、裕香はただ、昨日に戻りたいと願っている。
作品名:星の残骸 作家名:ミツバ