うそみたいにきれいだ
6月22日 だんご
(オオカミ店長と雪丸さんとすみれちゃん)「すみれちゃーん」
「はーい、」
水色の幌がきりきりと上がっていく音を聞きながら今朝あたらしく入荷した子たちのリストに目をとおしていると、水色になった大上店長が脚立の上からわたしの名前を呼んだ。
「全部入ってる?」
「んん、はい。入ってます」
「っし、じゃあ水揚げたのんます」
「はあい」
晴れた夏の朝はとてもいいにおいがしていて、涼しいにおいをかぐと何故か油っこいものが食べたくなるわたしはホットケーキミックスとおからでドーナツをこしらえてきた。
開店まえから早くもおさんじが待ち遠しいだなんてなんて平和なんでしょう、ねえ雪丸さん。
ところで、そのホースをそろそろよこしてくれないか。
店頭にディスプレイされた鉢ものにだばだばと水をかけているふわふわ頭の雪丸さんは、春からアルバイトに来ている不思議なお兄さんだ。
わたしの作ってきたおやつに女子のようにきらきら感動していたかと思えば般若のような目で食虫植物の鉢をにらんでいたり、店長いわく「めんどくせえやつ」。
でも、店長はこのふわふわお兄さんのことをとても気に入っている。言わないけど、空気でわかるんだもの。
「雪丸おま、いつまで水撒いてんだよ。すみれちゃんを手伝え」
「あ、ごめん。ぼっとしちゃって」
「せめて手の力を抜いてぼっとしろ水がもったいねえ」
店長は口がよくない。
当然態度もよくない(でも女性のお客さんには優しい)ので、彼とお花屋さんのイメージが結び付かない人たちが大勢いる。
花屋になった経緯を尋ねられるたびに、最初のうちは律義に答えていた店長もだんだん面白くなくなってきたらしく、いつの間にかふたつみっつと理由が増えていた。
店長は商社さんのビルのロビーに花を活けたりもしているけど、そういうところのOLさんなんかには「初恋の人の名前が花だったから」で通っているらしい。無茶だ。
怒られた雪丸さんはいつも通り悪びれない調子でごめんようと言って、わたしの用意したバケツにせっせと水を汲んでくれた。
「あ、雪丸さん」
「ん?」
「肩。花蜘蛛のってる」
「え!」
しゃがんだ雪丸さんの白いTシャツの肩に、葉っぱの切れ端のようなものがくっついている。
弱っているのか眠いのか反応のにぶいそいつを指先にとって、雪丸さんの手のひらにのせてあげた。
「わあ。可愛いな」
「ははは、言うと思った」
「おーちゃん見てほら。花蜘蛛」
「ああ? 見飽きてんだよそんなもん」
「えーなんで、可愛いじゃん」
はなぐも。とはな声で呟く雪丸さんが可愛くてこっそり笑った。
「雪丸さんて、店長と昔からの知り合いみたいですね」
「へ、なんで?」
「いや、おーちゃんとか呼ぶから」
「ああー。やあ、違うよ。ふふ」
「こいつが馴れ馴れしんだよ。さんくれろ」
「絶対やだ」
「言っとくけど超肉食だかんなそいつ」
「え、うそ。花の蜜とかじゃないの」
「違うんだなそれが。花に寄ってくる虫とかとっ捕まえて食うんだよ」
「……へえ、」
うす緑色の、小さくて可愛い、獰猛な蜘蛛をひとさし指にのせたまま、雪丸さんはもくねんとして動かなくなってしまった。
物書きの精神世界に行ってしまわれたなと私は察して、薬剤を分量の水でうすめる作業をひとりで片付けるべく腕まくりをした。
「でも害虫も食べるんなら花にとっては、いいんだよね」
「まあそりゃそうだけど」
小菊と樒の枝をてきぱきと輪ゴムで束ねながら、店長は何やら口ごもっている。
この人たち、合わないんだけど、時々絶妙に合わさるんだよなあ。
「ほら。もーはなしとけ」
「んん、」
「そっちじゃねえこっちだ」
「え、なんで……あ、」
ほらこんなふうに。
どすんと差し出されたバケツの中身に、雪丸さんはうふふと笑う。
白いスプレー菊の花に降ろされたそいつは、得たりとばかりに葉むらへ潜っていった。
墓前用の供花にくっついていれば、買われていってもどのみち外だものね。
「優しいね店長」
「ねー」
「仕事して下さいお前ら」
「へーい」
真顔で照れる店長とにこにこしているバイトお兄さんを店内に残して、私はあたらしい花の名前を書いたプレートを持って外に出た。
梅雨どきらしい湿気にむっと包まれる。
さっきよりもずいぶん日も高くなっていて、油っこいドーナツについて、私は少しだけ後悔した。
作品名:うそみたいにきれいだ 作家名:むくお