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Loop01

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この世界は、うつくしいものであふれている。


side:Nanahara


五条には雨がよく似合う。ぼたぼたと勢いをつけて降り落ちるおおぶりのドロップのような恵みの雨だれではなくて、厚手のコートの繊維の奥までがしっとりと滲むような色合いの霧雨が。
緑をなぐさめるためのビロウドじみたヴェール、輪郭を淡く、浸る陰を濃くした鈍色の世界は五条のため息によく似ていた。
五条のうつくしさは憂鬱だ。

色々なひとが五条を好きなように語る。きれいなひと、変わりもの、如才なく繊細、硝子細工のように。
そのどれもが正解で、たしかに五条をかたどっているものだと、そう思うのだけれど。靴のなかに入り込んだ小石のように、彼女たちの気ままなことばはなぜか私を不快にさせる。五条は興味もなさそうにかたちのいい口許を尖らせて、ふぅん、と呟く。ふぅん、あたしはそんな風に見えるのか。
そこにはどこかしら投げやりな感じが見え隠れしていて、だから五条の周りの空気はどこかいつも青いのか、と、私は栓ない考えを巡らせては傍らの五条を眺めるのだ。
憂鬱で、ひやりとした、ゼリーみたいな明度の高い五条の青。甘い甘い苦い、冷たい中毒性。
間近で見ればちょっとどきどきしてしまうような五条の人形めいたおもては五条にたくさんのものを与えて、それからたぶん奪っている。

屋上まで続く階段のてっぺん、埃のうすく降り積もった踊り場の片隅。常磐の奥に息を潜める白木蓮のようにして、五条の歌声が匂い立つ。
甘くて憂鬱な古いレコードみたいな五条の声は、霧雨の真昼によく似合う。さざめく水滴が過多なざわめきを押し殺す、モネの水彩画みたいな学内の空気。いろいろな要素がパズルピースのようにうまくはまれば、眠るようにうつくしく、世界は色を変えるものだ。
曇天のなかでまたたく五条の唇が、海の向こうのはやり歌の輪郭を描いてはぼやけていく。とうに廃れてしまった恋歌が、ほろ苦いカラメルのように私の内でかたちなく漂うなにかを露にするようで、どこか苦しい。

肩口に五条のあたたかな体温と、やわらかなシャンプーの清潔な香りを感じた。こんなときの五条は猫みたいだ。
猫みたいに、可愛くて、狡猾で、どこかひどくもの哀しい。甘える場所は欲しくても、愛とかそういうの、嫌いなんだって、そんな顔をしている。

「ねむい」
「うん」

華奢なつくりに比例して、なんだか現実味のない五条の体重がじわりとこちらに傾いてきたから重ねていたてのひらをゆっくりと引いた。腕のなかに抱え込む。深い呼吸で上下する背中をなだらかになでる。ほっとしたように、五条がひとつ息をつく。抱き締めるだなんて、当たり前なのに。
五条の背中はまっすぐで、私は指先で五条の背骨の節を数えるのが好きだ。抱かれなれない五条の背中のぎこちなさが好きだ。かたくなな、まっすぐ。
いつの間にか長い時間を近くで過ごすようになって、友だちなんていう都合のいいあいまいなことばに納められるのかも怪しくなってしまった。勘違いの成れの果ての戯れめいた仕掛けをされたこともある。
私をじっと見る五条の蜻蛉玉みたいなひとみ、私を素通りしていく五条の視線。私じゃないものが欲しい五条の手が、手っ取り早いあたたかさを欲しがって今日もまだ私のパーカーの背をつよく掴んだままでいる。

五条はきっと、振り払われないと知っていて、私が振り払えないと知っていて、そのくせそんなことを考えているだなんて知られたくはないのだろう。わがままな願いごとはあまりにも密やかで、気付くにはすこし時間がかかる。
可哀相だなんて思っちゃいない。そんなの五条に失礼だ。でも五条はその頭のよさで、きっと私よりずっと難しくて複雑なことをごちゃごちゃたくさん考えて、勝手に自分の首を締めて、臆病になっているんだろうなとは思う。思うよりも、それを感じる。
どれだけ近くに居ても破ることのできない薄い被膜一枚を感じるのは、きっとそのせいで、それは少し、苦しいことだ。五条にも、私にも。
誰彼構わずなつこくほほ笑んだり、無防備さをさらしてからだを預けられる人間じゃない。五条はそんな人間じゃあ、ない。
いっそもっと五条がどうしようもなく救いがたい、最低なやつならよかったのにと時々思うのだ。そうしたら、こんな風に自分のうちがわに沈んでいく五条を見ても、私は苦しくなったりはしなかったのに。笑って欲しいだなんて行き場のない星屑を、知ることもなかったのに。

私が五条を抱き締めてあげれば、苦しい五条の青は濁る前にそのうつくしさを、底まで透き通るような純度を取り戻せるのだろうか。
甘く甘く苦い、薄荷のようにすぅと透き通る五条の憂鬱。霧雨にけぶるグラウンド。穏やかに呼吸する五条の横顔、高い鼻梁、ぴくりと震える瞼に長いまつげ。華奢なからだと寂しく滲む歌声も。
こんなにきれいないきものを拒めるひとが居るだなんて、私には到底思えない。

はやく正しい手を取ることができればいいのにね。口にしたことのない願いを指先に込めて、私は五条の痛んだ髪を撫でつける。わずかに五条のからだがまた強張って、それがどうにもやるせないのだ。
かたちのいい五条の小造りな頭部、灰色の脳みそいっぱいに詰まった五条の行き場のない想い。
腐爛する前にはやく報われてくれればいい。はやく、欲しがるひとに届けばいい。それまでは、ちゃんと傍に居るから。抱き締めて、髪を撫でて、千のキスを贈るよ。
だから逃げないで、絶対に逃げないから。五条のずるさを知っていようがいまいが、そんなことは私には大した問題じゃないのだ。
見くびらないで欲しい、そんな風に怯えないで、脅かされないで、ためらわないで。
君が思うよりずっとずっと強く、そうだ、君を愛してる。ハレルヤ。
作品名:Loop01 作家名:梵ジョー