カナリア
こどもの祖父は扉の正面に座っている。
「カナリアか」
祖父のつぶやきが子供にははっきりと聞こえた。扉のむこうにも聞こえたかどうかはわからない。
「歌をうたわせてください」
扉のむこうからは澄んだ声がした。
「まず入りなさい」
祖父はいう。こどもは、「カナリア」が入るのを待ってから扉を閉めた。
「歌は誰のために?」
祖父が言う。カナリアはこたえる。
「私の恋人に」
「何故」
「月にゆきましたから」
「歌いなさい」
澄んだ声と重い声がくりかえされ、最後に祖父はそう言った。祖父はこどもを見、こどもに言う。
「窓を開けなさい」
こどもは窓を開ける。
窓の外には半月が光る。
カナリアは歌をうたう。
歌がおわるとカナリアは礼をし、きびすをかえす。
こどもは扉をあけ、扉をしめる。扉のむこうに黒い影がきえていく。夜の闇のなかに。つめたい冷気のなかに。
「おじいちゃん」
こどもは言う。
「何だ」
「どうしてカナリアなの」
「歌をうたうからな」
「鳥じゃないのに」
「人間をやめたくなったんだろう」
「ひとのかたちだったよ」
「かたちだけさ」
家の中はあかるく、あたたかい。そこに開けたままの窓から冷気がおりてくる。
こどもはつづけて祖父にきく。
「どうして黒い服なの」
「恋人が死んだからさ」
「どうして歌うの」
「恋人が死んだからさ」
「どうしてかなしそうなの」
「恋人が死んだからさ」
「どうしてあんなにきれいなの」
「恋人が死んだからだよ、おまえ」
くりかえされるこたえ。
こどもは首をかしげる。
「こいびとってだれ?」
「大切なひとさ」
「おじいちゃんとぼくは黒い服きないの」
「着たいのか」
「たいせつなひとがしんだのに」
部屋の中央にテーブルがある。
その上に黄色いものが置かれている。
力なくだらりと垂れた羽。
白い布がしかれた上に大切に置かれている。
本物のカナリアだ。
「焚火をしようか」
祖父はいう。
そして家を出ていく。
こどもは台所にいく。マッチを探す。
マッチをもって天井をみあげる。そこには銀の籠がつるされている。
机の上にポットがある。
こどもはポットをつかみ、そのふたをあける。湯気がたちのぼる。
あつい。こどもは手をはなす。ポットが落ち、こどもの体に湯がかかる。ポットが床にころがる。
こどもは泣く。
泣きながら、自分が声をあげることをふしぎに思う。
祖父がやってくる。こどもを風呂場につれていく。こどもが手ににぎりしめたマッチをとりあげる。
服を脱がし、体を冷やす。服を着せ、家の外に連れ出す。
家の外には焚火の用意がされている。
祖父はこどもをそこに残し、家の中にはいる。
こどもはまだ泣いている。
戻ってきた祖父は、胸もとにカナリアを抱いている。祖父はそれを、組んだ小枝の山のいちばん上に置く。
置いたあと、考え直したように、木組みをすこし崩し、枝に埋め込むようにカナリアを置きなおす。
祖父はこどもに、ごらん、という。
そして月を指さす。
「死んだものはみんなあそこへゆくんだよ」
こどもは月をみる。祖父はこどもに言う。
「あそこは寒いと思うかい、おまえ」
こどもは頷く。
「そうだな、寒いだろうな」
祖父はいう。
「満月が死者を導きよせる。カナリアは黄色。満月の色だ。カナリアの衣は黒。闇夜の色だ。黒は寒いな。月は寒いな。死者は寒いな」
「冷たい」
「なにがだ」
「カナリア」
「そうだな、死んだから」
祖父はこどもをみおろす。
こどもはカナリヤを見ている。
「息を吐いてごらん」
祖父は言う。こどもは息をすいこみ、吐き出す。しろく曇る。
「湯気と同じ色だ」
こどもは祖父を見上げる。
「あったかいの?」
「そうだな」
「おじいちゃんのも?」
「そうだよ」
こどもは息を吸い、吐きだす。白い。くりかえし、何度でも白い。
こどもは自分の口に手をあてる。そうして、声が熱をもつことをたしかめる。
「歌は、熱だ」
祖父が言う。
熱が死者へとたちのぼる。
熱が死者を呼ぶ。
さみしさを減らそうと呼ぶ。
おまえをあたためようと。
こどもは天を見上げた。月が黄色に光っている。
祖父はこどもの手をとり、マッチを渡す。こどもはマッチを見、祖父を見る。
「あたためなくては飛べない」
祖父はこどもの両手をつかむ。
手を添えたままマッチ棒を出し、擦る。こどもの指がマッチを落す。
小さな火がしだいに燃え広がる。
煙が細く長くたちのぼった。
月に向かって、しろく長く、たちのぼった。
(2005/冬)