「うつくしいほね」
人間の体など、薄皮1枚剥げば肉の塊、それを剥げば残るのは骨だ。骨が美しければその上に載る肉も美しく、皮も美しい。それが私の自論だった。
そのせいだろうか。人気もない深夜の公園を、骨を抱えて歩いている少女に出会った時も、私は恐ろしいとか怪しいとは思わなかった。むしろそれとは違う理由で、彼女の抱えたものに目を奪われた。それはあまりにも美しい骨だったのだ。
「きれいね」
思わず、そう声をかけてしまった。明らかに人間の、それもやけにリアルな――本物であろう頭蓋骨に対してそんな声をかけたら、気味悪がられてしまうかもしれない。そう考えて後悔したのは、驚いたように少女がこちらを見返した後だった。
だが少女の目は、不審ではなく私への好意で見開かれていた。
「うれしい。そんなふうにいってもらえたの、はじめて」
考えてみれば当たり前だ。見るからに大切に、この世にふたつとない宝物のように頭蓋骨を抱えている少女が、それをきれいだと言われて嫌な顔をするはずがない。私はほっと胸を撫で下ろし、少女の反応をいいことにずけずけと無心した。
「本当にきれいね。ちょっと、ゆっくり見せてもらっていい?」
初対面の相手に、あまりにも性急過ぎるのはわかっていた。だがそれほどに少女の持つ骨は美しかったし、この場を逃したら2度と彼女には出会えないような気もしていた。きっとその時の私は、とんでもなく必死な顔をしていただろう。
少女は私の勢いに少し戸惑ったらしく、きょとんとした顔をしていたが、やがてにっこりと微笑み返してくれた。
「うん。でもさわっちゃだめだからね」
「ええ、わかったわ」
指きりで約束してから、私は少女を公園のベンチに座らせた。私自身はその前にしゃがみこむ。そうすると私の視線は、少女の膝の上の頭蓋骨とちょうど同じ高さになるのだ。
本当にきれいな骨だった。左右がほぼ対称で、ゆがみがまるでない。頭の中で、その上に肉を載せる。皮を張る。そうしてできあがった顔の美しさに、私は心酔のため息をついた。
「本当に、きれい」
それしか言葉が出てこなかった。我ながら馬鹿みたいだった。あまりにも美しいものを見たせいで、本当に酔っていたのかもしれない。
「うれしい」
少女も先程と同じ言葉を繰り返した。
「これ、わたしのすきなひとのほねなの。だから、きれいっていってもらえるのはすごくうれしい」
「きれいなひとだったんでしょうね」
「うん、きれいなひとだったよ。だいすきだった。だからこうして、うまれかわるまでずっといっしょにいることにしたの」
そう言ってはにかむ彼女もまた、きれいな顔立ちをしていた。今まで頭蓋骨の美しさに見蕩れて気付かなかったが、よくよく見れば彼女もまた、美しい頭蓋骨の持ち主だ。
彼女が膝の上に乗せ、いとおしむように撫でている頭蓋骨とも似ているような気がする。もしかすると、この骨とは親子か兄弟なのかもしれない。
不意に、ひどく羨ましいと思った。世にも美しい頭蓋骨を抱える少女が。夢のように美しい頭蓋骨を持った少女に抱かれるしゃれこうべが。
羨ましさはすぐに嫉妬へと変わった。私もあんな骨を抱えたい。私もあんな骨に抱えられたい。月と街灯の光の下、骨と少女の肌は本来よりも白く輝いて見えて、その輝きが私を拒絶しているように見えた。あの美しい世界に、私だけが入り込めない。
二人だけなんてずるい。私を拒むなんてひどい。あんな骨を抱えている少女が憎い。あんな骨に抱えられている骨が憎い。私はあんな骨になりたかった。あんな骨になりたかったのだ。それが無理だと言うなら、せめてあの骨が欲しい。
少女と激しく言い争ったことを、ぼんやりと覚えている。たぶん私はあの頭蓋骨が欲しくて、彼女からそれを奪おうとしたのだ。
激しい抵抗に業を煮やして、少女の細い首に手を伸ばしたことも覚えている。小さな手がもがいて私の腕に爪を立てたのも、細い体が私の下で痙攣したのも。
気が付けば私は、人気のない深夜の公園のベンチに一人腰掛けていた。少女はもう、どこにもいない。少女が抱えていた骨も、どこにも見当たらない。
そのかわり、私の膝の上には真新しい頭蓋骨があった。きっとあの少女のものだろう。私が想像したとおりの頭蓋骨だった。
私だけの美しい骨。
私はその事実に満足して、少女がそうしていたように膝の上の骨をいとおしく撫でた。
「こうして、ずっといっしょにいようね」
その声への違和感と、骨を撫でる見慣れぬ手に驚いて、私は小さな悲鳴を上げた。無意識に口元を押さえた手も、また違和感を伝えてくる。
恐る恐る、顔に両手を這わせた。やはり違う。これは私の顔じゃない。これは私の骨じゃない。
指先が伝えてくる形は、少女が抱えていたあの美しい骨のそれだった。
「こんどはわたしがうまれかわるまで、ずっといっしょにいようね」
膝の上の頭蓋骨から、少女の声が聞こえた気がした。