翼をください
それは知った人すべてが私を嫉妬の視線で見つめるだろうから、私を好奇の視線で見つめるだろうからだ。
無論友人は無償で語らないと申し出た。だがそれでは私の気が治まらない。もし何十万何百万を積まれて、彼が語らないと言う確証がどこかにあるだろうか。それを問うと彼は黙ってしまった。私も黙って彼が捨てようとしていたろくでなしたちを奪い、代金を置いて帰った。それからはずっとこうした関係が続いている。
私は悲しい。こうして友人を疑わなければいけないのがとても苦しい。私の秘密を守らねばならないのがとても悔しい。友人も私も何も悪くないのだ。悪いのは世間なのだ。私を知ったとたん迫害するに違いないあの世間だ。友情も愛情もなにもかもが金で買えるあの世間だ。命さえ大枚叩けば買えてしまうものにしてしまうあの世間だ。
私は痛んだ林檎を齧った。美味くはない。だが無論食えなくはない。良くはないが腐っているわけではない。これは私と友人の友情の証に違いない。なら、少しくらい不味くても我慢しようじゃないか。
と、電話が鳴る。私は齧りかけの林檎を机の上に放り出して受話器をとった。
「はい、桂木」
電話の主はその友人だった。なにやら申し訳なさそうな調子でよう、桂木という。どこか彼らしくない。なんだろう。
「もう代金は振り込んでくれなくて良いよ」
「どういう意味だ」
インターホンが鳴らされる。ヒステリックな音がする。
「悪い、インターホンが鳴ってるからちょっと待ってくれるか」
「待て、出るな。お前の秘密を知ってる奴らだ」
と、友人は言った。なんだって。
「今何ていった」
桂木さん、いるんでしょう。隠れても無駄ですよ。戸はまるで工事現場にでもなったように恐ろしく大きな音を立てている。もうインターホンなんかに頼らず蹴破るつもりだ。ええい、問題はそんなことじゃないんだ。
「君の秘密をあいつらに喋った。三年前からずっといわれてたんだ。家族を人質にされたんだ。悪い、桂木」
私は電話を切った。扉はいっそう強く叩かれている。ちくしょう、ここは借家なのに。無茶をしやがって。
だが出口はもう窓しかない。しかもここは三階、常人なら脱出できても怪我をして逃げ切れない。
常人なら。
私は窓を開ける。出来れば使いたくない方法、だけれどここで檻に入るのを決定付けられるよりはマシだ。
背に力を入れる。正確には、背にある特異な部位に力を入れる。翼のような、黒い突起。それが服を破り、そこで広がる。機械で作った翼の模造品のような形だが、触れれば温かいし肉感もある。窓の外へ羽ばたく。それを広げるのは久しぶりだ。少し落ちかけるが、高度のお陰で助かった。勘を取り戻せばなんでもない。
両目が熱い。私は恐らく泣いている。もう高速になった飛行速度の為によくわからないが、恐らくこの水滴は涙だ。昨日からずっと降っている雨ではない。
悪いのは友人ではないのだ。私のこの翼でもないのだ。世間だ、悪いのはすべて世間なのだ。
私は翼を動かした。もう止まれなかった。
どこかで歌っているのか。それとも私が単に思い出しているのか。よく聞く合唱曲が聞こえた。
「いま私の願い事が叶うならば翼が欲しい」
翼が欲しい。ならくれてやるから。私と友人の気高い友情に傷はつけないでくれ。
きっとあいつらはあの齧りかけの痛んだ林檎を見ても何も思わないのだろうと私は泣いた。
私と友人の約束だった、あのろくでなしの林檎を。