テスト投稿
暑さをしのぐために回した扇風機の音が、その部屋を静寂から遠ざけている。
今はよく見えないが、明らかに借り物の、生活感の無い部屋。クーラーではなく扇風機を回した所が、彼の非常にささやかな抵抗であったのかもしれない。
備え付けのベッドに寝転がり天井を眺めていた彼は、ぐ、と片手を伸ばした。彼の年代には似つかわしくない白い肌は、暗闇の中でもぼんやりと浮かんで見える。一定のリズムで脈打つ心臓が、この身体に生を運んでくれていることを証明していた。
――オレは、生きてるのか。
「生きて、いる…」
声に出してみても、未だ思考はふわふわとしていて、生きているということ――勿論、死にたかった訳ではないが――に実感がない。
脳裏を掠める少年の姿。外見は同じ位だが、あの雰囲気、表情、声音。その全てが少年の年齢をあやふやにしていた。
『…おい、死んでるのか』
薄れゆく意識の中。
降り注ぐ雨の合間を縫って届いた少し低めの抑揚がない声。
あの時路地裏で掛けられた言葉は、少し酷いのではないかと今でも思う。
そんな状況下で、普通逆だろ、と息絶え絶えながらも冷静に突っ込んだ自分は、少年と同じく相当な精神の持ち主のようだ。
まあ、そのおかげで自分は生きているのだが。
「運が、良かっただけなんだろうか…」
ちょうど心臓が位置する辺りを、伸ばしていない方の手でなぞるように触れる。しっかりと巻かれた包帯が傷の程度を教えてくれた。
後日話を聞けば、銃弾は心臓の真横を通過していたという。
その時に言われたのだ。運が良かったですね、と。
確かに心臓に通過していれば即死は免れなかった。だが、真横でもさほど変わりはないだろう。
だから自分はあの時、間違いなく、死んでいた筈だ。
なのに、何故。
「なんで…生きてんだ…?」
その疑問を音にしたら急に自分が人では無くなってしまったような気がして。
伸ばしたままの手で拳を作り、血が滲むほど握り締める。
微かな光でも、目に飛び込んでくるのは濃い赤だった。自分は人間だと信じてもいいのだろうか。そこまで考えて泣きそうになる。
確かに、自分は死を覚悟した。身体に刻まれた覚悟は、今でもしっかりと残っている。
なのに、生き残ってしまった。どこかでほっとしてる自分もいた。だが後ろめたさを感じているのもまた事実。
何に対してかは、残念な事に彼には知る術がなかった。
撃たれた事に対する何らかのショックで、一時的に記憶が飛んでしまったのではないでしょうか、と少年の仲間なのであろう薬師と名乗った女性は言った。
どれだけ覚悟があったとしても、人は死に本能的な恐怖を持っているものだ。と誰かが言った言葉がよみがえる。誰だっただろうか。それすら思い出せない。
無意識に自分は、拒否したのだ。生きる代わりに、生き延びる代わりに、大切な思い出を。――そういう事になるのでは、ないだろうか。
完全に記憶が無くなったという訳ではなく、ぼんやりと、断片的にしか覚えていないだけ。何か大事なモノだけ落としてしまったような、そんな感覚。
ハッキリと覚えていることと言えば、自分には、待っていてくれる人はもういないということ。
無くなってしまったから。手放してしまったから。…奪われて、しまったから。残念ながら、どうしてかまでは思い出せなかったけれども。
失って、自分には何も残ってはいない。それだけはハッキリとしていた。なのに、最後の帰る場所である思い出まで受け入れることが出来ない。
「誰か、助けてくれよ…」
オレを、助けて。
相も変わらず差し込む月光がなんだか目障りに思えて、窓に背を向ける。
その拍子に結んでいたゴムが切れた音がして、わずかな月明かりを受けて光る銀糸が、シーツの上に散った。
肩に掛かる長さのそれが視界に入り、何故か思わず自嘲の笑みを浮かべる。
「いつから…伸ばし始めたんだっけ、髪」
日本で生まれた癖に、先祖返りなのか日本人からかけ離れた容姿。
同じ血を受け継いだはずなのに、家族の誰とも似ていなかったその姿。
よく見なければわからないくらいの微かに青みがかった銀の髪。形容し難い色合いの蒼の瞳を持つ彼は、誰もが日本人ではないと信じて疑わず、自分は鏡に映るその色が嫌で、髪が伸びる度に短く切っていた。
きっかけは、思い出せないくらい昔か、大切な思い出に引っ掛かるかで、全くわからない。
わからなければわからないで問題の無かったこの数日とは違い、今は言い表せないもどかしさが彼を駆り立てた。