そうさくえほん『なみだのきらいなおとこのはなし』
おさなかったくろねこは おどろくほどながいきをして
もうりっぱなおじいさんねこになっていました
わかものだったおとこのほうにも
いまではりっぱなしろひげがはえておりました
そのひは とてもさむいひでした
だんろのまえにまるまったくろねこは むかしよりもうずっとよわよわしく
いまにも しんでしまいそうなくらいに すっかりすいじゃくしておりました
くろねこはいいました ぼくがしんだら
きっとあなたはかなしむのでしょうね
おとこは むねをはってこたえました
だいじょうぶだ おれさまはせかいいちつよいおとこだからな
くろねこはあおいめでじっとおとこをみつめて、ひげをふるわせていいました
だけどしんぱいだ あなたはじぶんでおもっているほどつよくない
おとこは むきになっていいます
なにをいう、おれさまはせかいいちつよいのだ
よわいやつらはなんでもないことですぐにきずつくが
おれさまはつよいから かなしむことなどないのだ
むねをはったおとこのかおには ふかいふかいしわがきざまれています
いいえあなたは せかいいちよわい それにきづけないのが あなたのふこう
くろねこはほそくつぶやきました
それは とてもとてもかなしげなこえでした
いつかきっと きづいてください
そういうと くろねこはひっそりいきをしなくなりました
ちいさなからだははしっこのほうからひえてゆき
ふさふさだったけなみも、かたくかたまってしまいました
おとこは、ながいあいだ うごかなくなったくろねこをみておりました
どうにかして いきかえらないかとおもったのです
もうふをかけてもだめでした
おいしゃさんをよんでもだめでした
だいこうぶつだったさかなにも くろねこはもうみむきもしません
おとこは、じっと、くろねこをみておりました
むねのあたり のどのおく はきけがするほど くるしいほど
あついものを ごくりとのみこみました
それがなんなのか ずっとずっとかんがえて
おとこはようやくりかいしました
なみだであらいながせないかなしみがそこにたまって
やけたてつのようにはつねつしているのでした
とおいむかし ひとのかなしみをばかにして
かみさまになみだをとりあげられてしまったおとこは
かなしみをあらいながすすべをしりません
なくことのできるにんげんは なみだでかなしみをやわらげ
あしたをいきるのです
なみだをながせないおとこは ただかなしみをだいたまま
なにをすることもできません
なみだをながせないおとこは せかいいちよわいおとこでした
それにきがついたとき おとこは こころのそこからさけびました
わたしがまちがっていたんです
かみさま かみさま かみさま
わたしが まちがっていたんです
なけないことがこんなにもつらい
おとこはゆかにたおれふし くるしいくるしいむねのおくを
とりだそうとするようにつかみました
かみさま かみさま
そのうちにあさがきて ひるがきて よるがきて またあさがきて
おとこのくらしていたいえも すっかりとくちはて
かみさまをよびつづけるおとこのからだは いつしかいしになりました
いしになったおとこのまわりには くさがしげり もりがひろがってゆきました
ふゆのひには ことりたちがおとこのそばによって かぜをよけます
なつのひには どうぶつたちが ちいさなかげをもとめて やってきます
そうやっておとこは もりといっしょにいきていました
そんなおとこのうえに かみさまは まいとしゆきをふらせてやりました
それは きまってふゆのおわりのひのことでした
しろいしろいゆきは いしとなったおとこのめへとつもり
やがてはるになれば あふれだしてゆくのでした
せかいいちよわかったおとこのはなしは これでおしまいです。
作品名:そうさくえほん『なみだのきらいなおとこのはなし』 作家名:朝野 夜