派遣パンダ
「はい、どうぞ」
目の前に、大きな肉球を持つ前足と、頼んでおいたボールペンが差し出された。
顔を上げると、僕の机の前に、パンダ(女性)が二本足で立っている。
僕が指導した、派遣社員だ。
「・・・どーも」
「先輩、ボールペンなくしすぎです。もう5本目ですよ?」
「ペンの神様に嫌われてるんだよ、僕は」
僕の言葉に、彼女はくすくす笑って、自分の席に戻った。
僕の席からは、彼女の白黒の背中が見える。
制服はさすがにサイズがなかったので、首にリボンタイだけつけているが、それも紐を足してあった。
「白地に黒か、黒地に白か、それが問題だ」
「何ぶつぶつ言ってんだよ、会議はじまるぞ」
言われて、僕は慌てて会議室に向かった。
退屈な会議が終わった後、片づけをしようと立ち上がった僕に、役員の一人が声をかける。
「そういえば、あのパンダちゃんは、君が担当だったね?」
「パン・・・ああ、彼女のことですか。ええ、そうです」
「どうかね、あのパンダちゃんは」
「・・・有能ですよ、彼女は。派遣にしておくのがもったいないくらいに」
他の役員が、ははっと笑って、
「パンダが社員かね。きっと、取引先の女の子達に人気が出るだろうね」
「そうなったら、契約も取りやすそうだ」
「大体、あの手でパソコンが使えるのかね」
「キーボードを叩き割るかもしれんよ、何せ、パンダは熊の仲間だから」
笑いながら出て行く役員達に背を向けて、僕は会議室を片付ける。
「・・・彼女にだって、ちゃんと名前がありますよ」
会議室から戻ってくると、彼女が、数人の女性社員と何事か話していた。
彼女と目が合い、くすくすと笑うのが見えたので、こちらもあいまいな笑顔を返す。
横を通り過ぎようとしたとき、彼女の声が耳に飛び込んできた。
「それって、私がパンダだからですよ」
バンッ!!
手の平で机を叩くと、意外といい音がするものだ。彼女達だけでなく、他の社員も目を丸くして、僕を見ている。
「・・・君は、自分がパンダだということに甘えてないか?」
「は?」
彼女は、きょとんとした顔で、首をかしげた。
「君は、自分がパンダだということを抜かせば、完璧だと思っているのか?他に非の打ち所がないとでも?」
「え?あの」
「馬鹿にするなよ!僕は、君が「パンダだから」と言う理由で注意したことは、一度もない!!」
「よく分かっています」
冷静な彼女の声に、僕は思わず身を引いた。
彼女は、つぶらな黒い目で、僕を見つめ返す。
「よく分かっています」
その時、12時の鐘がなったので、僕はそのまま会社を出た。
いつもの定食屋で食事を済ませた後、ふと、ケーキ屋の前で立ち止まる。
ぐずぐずしていたら、店の中にいた客二人が出てきた。
僕は、店の中に飛び込むと、店員の「いらっしゃいませ」の声を遮って、言った。
「シュークリーム、あるだけください」
会社に戻ると、彼女はすでに席についていて、リズミカルにキーボードを叩いている。
「はい」
彼女は、まずケーキ屋の紙袋に目をやってから、僕の顔を見上げた。
「さっきはごめん。君は何も悪くないのに、怒鳴ったりして。これで仲直りしよう」
椅子をきしませながら、彼女は僕のほうに体を向けると、
「私、笹しか食べませんが」
「また、そんなこと言って。シュークリーム、うまそうだよ?」
「・・・・・・」
「あれ?そうだっけ?」
「嘘です」
彼女はくすくす笑いながら、紙袋を受け取る。
「後で、みんなでいただきます。有難うございます」
3時になって、女性社員にシュークリームが振舞われた。
何事か言葉を交わしながら、みんながこっちを見る。僕はそ知らぬ顔で、仕事を続けた。
「先輩もどうぞ」
彼女が、お茶とシュークリームを持ってくる。
「僕はいいよ」
「沢山ありますから。美味しいですよ?」
「僕は、笹しか食べないんだよ」
「・・・・・・」
彼女は、無言でシュークリームを四つに割ると、席に戻っていった。
「・・・怒ったのかなあ?」
四つに割られたシュークリームを食べていると、課長から社内メールが来た。
そこには、彼女が契約を更新せず、今月で終わりになると書かれていた。
「実家のお父さんが、具合が良くないらしいんだ」と、課長は書いている。
僕は、散々悩んだ挙句、彼女に社内メールを出すことにした。
「今、君の契約終了を知りました。
君はとても優秀な派遣社員だったので、残念に思います。
お父さんの具合が良くなったら、また戻ってきてくれると嬉しい。
さっき、君に怒鳴ってしまったこと、本当に悪かったと思ってます。君は何もしてないのにね。
僕は、君が実際より評価されていないことが、腹立たしかったんだ。
君がどうしても、「パンダだから」と言う目で見られることは分かる。
ただ、それを言い訳にしたり、そこに逃げたりしないで欲しいと、言いたかったんだ。
さっき言ったことも、本当。僕は、君を「パンダだから」という理由で、注意したり、仕事を任せなかったりしたことは、一度もない。
僕には、君のつらさや苦労は、本当には分からないということも分かってる(←何だか矛盾してる?)
例え、僕が本物そっくりのパンダの変装をして、街を歩いたとしても、だ。
第一に、どんなに本物そっくりでも、やっぱり偽物だから。
第二に、僕は、いつでも人間に戻れるから。
だけど、「パンダであること」は、決して恥ではないと思う。
自分に誇りを持って、これからもがんばっていって欲しい。
そして、また君と仕事が出来るよう、願っています」
これだけ打つのに、1時間近くかかってしまった。
しかも、うっかり全社員メールで送ってしまった。
この後、社内は大混乱に陥った。
僕のメールに共感した人、異論がある人、自分を恥じた人、彼女を激励する人、さまざまな内容のメールが返信されたのだけれど、その返信がまた全社員メールで送られてしまい、またその返信が、といった具合。
その日どころか、一週間ほど騒動が続き、僕は課長にこってり絞られた。
社内がようやく平静を取り戻した頃、契約期間は終了し、彼女は会社を去っていった。
僕に、「私が戻ってくるまで、この会社にいてくださいね」と言い残して。
あのメール事件以来、すっかり有名になってしまった僕は、また新しい派遣社員の指導を任されることになった。
今、僕の目の前には、窮屈そうにリボンタイをしめたヒグマが立っている。
終わり