トカゲのばーちゃん
俺のばーちゃんはトカゲだ。
「ばーちゃん、宿題手伝ってー」
ばーちゃんの部屋は、ほのかに甘いにおいがした。
俺が入っていくと、ばーちゃんは縫い物の手を止めて、顔を上げる。
「おやおや、またかい?今日は自分でやらなきゃ駄目だよ」
ばーちゃんの言葉は無視することに決めた俺は、ちゃぶ台の上に、英語の教科書とプリントをおいた。
「32ページから35ページ参照」
先生の口調を真似して言うと、ばーちゃんがにたりと笑う。
「口裂けてるぞ、ばーちゃん」
ばーちゃんは、長い爪で器用に教科書とプリントを広げ、何処が分からないんだい、と聞いてきた。
「うーんと、こことここと、こっからここまで」
「おやおや、全部じゃないか。全く困った子だね」
にたにた笑いながら、ばーちゃんは鉛筆と消しゴムを取り出す。
「答えは教えられないよ。ちゃあんと自分の頭で考えなきゃ。ばーちゃんは手伝うだけ」
「ばーちゃん、サンキュー」
「なあ、ばーちゃんは何処で英語を覚えたんだ?」
何時もながら、ばーちゃんはすらすらと問題を解いてしまう。
俺は、ばーちゃんの菓子皿から、せんべいをつまみながら、
「ばーちゃん、大学とか出てた?」
「いいや。ばーちゃんは学校に行ってないんだよ」
「え?そうだっけ?」
「行っちゃいけないって言われてたのさ。学校は人間様の行くところ」
ばーちゃんは、目を細めてプリントの文字を読みながら、
「トカゲなんぞが、行くところじゃないのさ」
「・・・なんだよ、それ」
つい口調がきつくなる。ばーちゃんは、ごつごつした手で俺の頭を撫でると、
「いいんだよ。世の中ってのものはね、綺麗過ぎても生きていけない。清濁合わさって、初めて息が出来るものさ」
「セイダク?」
首をかしげると、ばーちゃんはくつくつと笑って、いいんだよ、と言った。
「それより、あんたにいいものをあげようね。そこの引き出しをあけてごらん」
ばーちゃんの言うがままに、タンスの引き出しを開けると、相変わらずごちゃごちゃと詰め込まれていた。
「ばーちゃん、どれ?」
「その赤い・・・ああ、そっちじゃないよ。おやおや、どこにしまったかね?ああ、そうそう、奥の、綺麗な紙が張ってあるだろ?そうそう、その箱をおくれ」
花柄の千代紙が張ってある小箱をばーちゃんに渡すと、ばーちゃんはふたを開け、中かから、液体の入った小さなビンと黒い粒を取り出した。
「こっちが「思い出の小瓶」、こっちが「虹の種」。どっちがいい?」
「ばーちゃん、またかよ」
俺があきれた顔をしていると、ばーちゃんはくつくつと笑いながら、小瓶と種をしまう。
「ばーちゃん、この前も、「妖精の羽」だとか言って、トンボの羽持ってきたじゃねーか」
「トンボじゃないよ、あれはね。ばーちゃんだって、トンボの羽くらい知ってるさ」
「あと、「竜の目玉」だとか言う、でかいビー玉」
「ビー玉じゃないよ。ばーちゃんが娘の頃は、ビー玉を沢山集めたんだ。ビー玉だったら分かるよ」
「目が悪くなったんだろ、年のせいで」
それじゃあ、と言って、ばーちゃんは、タンスの上に座っている日本人形を指差し、
「あれはどうだい?夜みんなが寝静まると、目が光って、髪が伸びるんだよ?すごいだろう?」
「・・・ふつーに呪われてんだろ、それ」
ばーちゃんがプリントを解き終わると、丁度見たいテレビの時間になった。
「サンキュー、ばーちゃん。俺、テレビ見るから」
教科書とプリントを手に、部屋を出ようとする俺を、ばーちゃんが呼び止める。
「何?」
「何でもないさ。もう一度、よーく顔を見せておくれ。そうそう、いい子に育ったね、あんたは」
ばーちゃんは、俺の髪をくしゃくしゃにして、
「これだけは覚えておきな。あんたはね、ばーちゃんの自慢の孫だよ」
「いきなり何言ってんだよ、ばーちゃん」
「何、年寄りの感傷さ。年を取ると、言っておかなきゃいけないことが、うんと出てくるものさ」
「何言ってんだよ」
俺は部屋を出ようとして、ふと足を止める。
「・・・俺にとっても、ばーちゃんは自慢のばーちゃんだ」
俺は振り返らず、急いで居間に戻った。
翌朝、かーさんの叫び声で目を覚ました。
とーさんを呼ぶ声、慌てたような足音。俺も慌ててベッドを飛び出し、一階に降りた。
「かーさん、どうしたの?」
うろたえたかーさんと、パジャマ姿のとーさんが、一緒に振り返る。
「おばあちゃんが・・・おばあちゃんがね・・・」
おろおろするかーさんの様子に、俺はばーちゃんの部屋に走りだした。
後ろから、駄目だと言う、とーさんの声が聞こえたが、俺は構わず部屋に入る。
ばーちゃんは、布団に寝ていた。
俺が部屋に入っていっても、ぴくりともしなかった。
ばーちゃん、と声をかけても、目を開けなかった。
ばーちゃんはそのまま、目を覚まさなかった。
俺にとって、人生初めての葬式が、ばーちゃんの葬式だった。
ばーちゃんは、近所でも有名なばーちゃんで、いっぱいの人がやってきた。
みんな、ばーちゃんのことが好きだったと言った。
「ばーちゃん、みんなにとっても、いいばーちゃんだったんだな」
俺が言うと、かーさんは涙ぐみながら頷いた。
ばたばたが収まると、ばーちゃんの部屋を整理しなきゃと、かーさんが言った。
カタミワケ、なるものをするらしい。
俺にも何か選べと言うから、俺は引き出しから、千代紙の張ってある箱を取り出した。
中から、小瓶と種を取り出す。
「それがいいの?」
かーさんに聞かれ、俺は、うん、と頷いた。
「ばーちゃんが、最後に見せてくれたやつ」
ばーちゃんが、「思い出の小瓶」と呼んでいたビンのコルクを抜くと、ほのかに甘い香りが漂ってきた。
「ばーちゃんのにおいだ」
俺が言うと、かーさんはビンを鼻に近づけて、
「これ、おばあちゃんがつけてた香水」
かーさんは、もう一度においをかぐと、顔をくしゃくしゃにして、
「このにおいをかぐと、おばあちゃんを思い出すわね」
「ばーちゃん、「思い出の小瓶」だって言ってた」
「そう。おばあちゃんらしいわね」
かーさんはうなずき、横を向いて目をぬぐう。
俺は、小瓶と種を持って、庭に出た。
「じゃあ、きっと、この種は花の種だ。色の変わる花、とか」
そう言って、花壇の土に種を押し込む。
「あら、駄目よ。ちゃんと植えないと」
おばあちゃんの形見なんだから、と言いながら、かーさんが立ち上がった瞬間。
地面から虹が現れ、青空に大きな橋をかけた。
終わり