壁一枚、向こうの君へ
新しいアパートのいいところ。
値段の割りに部屋が広いところ。2LDKの風呂トイレ別。ベランダは広々と開放的で、眺めも悪くない。
キッチンは新しく、壁紙には染みもヤニ汚れもない。決して築浅ではないのに、とてもとてもきれいな部屋。
私の部屋。新しい、我が家。
――――――、っ!!・・・・・・・・・、ぁ、・・・・・・・・・・・・・・だからっ!!
「・・・・・・」
新しいアパートの嫌なところ。
とにかく壁が薄いところ。怒鳴ったら叫んだりはもちろん、聞き耳を立てれば、生活音さえ聞こえてしまうのではないかと言うほどの壁の薄さ。
越してから一週間、まだPCもTVオーディオも何もないこの部屋で、唯一のBGMになってしまっている隣人の声。
あまり気分のいいものではない。
―――――帰っ、・・・・!!!!
隣からは、やさしい音楽も明るい声も聞こえてこない。時折聞こえるその声は、いつも何かを叫んでいる。少し低い声。男? 女?
会ったこともない隣人を想像してみる。いつも思い浮かぶのは、幸薄そうな儚げな女性。
(でもこんだけ声低かったら、いかつい姉ちゃんかも知れん)
聞こえてくる声を魚に、うぷぷと笑う日々。
幸薄いなんて、私の事かもしれない。
隣人の姿を想像し、テレビも何もない部屋で笑う女。かろうじて出した家具は灰皿ひとつ。ベットも買いに行かず、フローリングに布団を敷いている。ダイニングにはダンボールが山積みになっていて、積荷を解く気力もない。そんな女の生活。
私こそ、明るい声のひとつもない。
(陰気なお隣さんでゴメンやで)
ハァ。とひとつため息を吐けば、驚くほど部屋に響き渡った。
こんなときに限って、いつものお隣BGMはなりを潜めてやがる。
途端、一気に寂しさが押し寄せてきた。
(駄目。あかんって。泣くな、泣くな、泣くなっ)
新しい家は、新しい土地でもあって。わが故郷より遥か遠く、生まれて初めて降り立った東京。
(やっぱ好かんなぁ・・・喋り方も、食いもんも、なんも好きになれん)
空気が違う。ノリが違う。笑い方もなにもかも。
気になりだしたら、外に出るのが怖くなった。この一週間、職場と家の往復。
(なんも楽しないし・・・)
この壁の向こう。顔も知らない隣人の方が、よほど人生を謳歌しているように思える。
「だってなぁ・・・、だって、」
――――っ!! ・・・か、・・・・・・・・・・・ぁっ!!
「まぁーた泣いとる・・・。忙しないなぁ・・・そんな泣いてばっかおったら、あかんで自分」
それでも、私よりはずっといい。
作品名:壁一枚、向こうの君へ 作家名:NOULU