Pure Love ~君しか見えない~
祥子が静かに言った。祥子は不安だった。和人を幸に取られるのではないかと思うと、気が気でない。今まで何度も話題に上った幸の話題を、和人が避けるようになったこと。病院を通るたびに見せる、切なげな顔。そして、幸ともう会えないと言った時の、和人の涙。
愛しているからこそ、和人の気持ちに整理がつくまで、祥子は待とうと思っていた。だが、和人の両親にも紹介され、幸せな時だからこそ感じる不安と不満。それらが祥子に重く圧しかかっていた。
『なんて言ったの?』
和人が尋ねる。祥子の独り言は声の振動で和人に伝わっていたが、後ろから抱きつかれていたため、何と言ったのかはわからない。
「ううん。なんでもない」
急に笑顔を取り戻し、祥子は和人の隣に座った。和人は雰囲気で祥子の不安は感じていたものの、その原因が何なのかはわからず、それ以上聞くことも出来なかった。
数ヵ月後。和人はいくつかの作品を書き上げて、祥子とともに担当者に見せに行った。男性のその担当者は、新人ながらもやり手でである。すべての作品を読んでも、担当者の顔は渋い。
「ううーん、いいんですよ。絵本を初めて書いたにしては、よく出来ていると思います。だけど、なんていうのかな。スパイスがないんだよな……」
担当者にそう言われ、和人は頷く。祥子は通訳代わりについて来ただけだが、その批評に気が気でない。
『仰ることはなんとなくわかります。僕も何かわからないけど、足りないと思っています。ただそれ以上のことは僕にはわからなかったので、感想をいただきに来たのですが……』
和人の手話を、祥子が訳して担当者に伝える。
「そうですね……君が受賞した作品、僕も読ませてもらいました。うん、あれは素晴らしい作品だと思います。きっと君は、子供の頃から文才があるんだな。だから、文を書くのには慣れてるんだ」
担当者の言葉を、隣で祥子が通訳している。和人はその二人を交互に見ながら、頷いて聞く。
「この絵本も同じです。これは、少しいじれば大作の小説になる……つまりね、君は文学に慣れ親しみ過ぎているんだ。絵本は奥が深いこと、君も知っているだろう? 君の文章は、まだ大人向けに過ぎない。絵本は子供から大人まで親しめる本だよ。もっと子供の目線で書かないとね。子供が夢中になるような、大きくなっても忘れないような絵本にしてもらいたいんです」
担当者の言葉はわかりやすく、和人にすんなり伝わった。なるほど、今まで大人向けの文芸作品しか書いてこなかった和人にとって、絵本がどれほど純粋で難しいものなのか、和人は思い知らされていた。
『難しいね、絵本って……』
帰り道、和人が祥子にそう言った。祥子も優しく笑う。
「そうね……そんなに字数が多くてもいけないし、無駄なことは省かなきゃいけない……なにより、言葉を習う前の子供もわからなきゃいけないじゃない? お母さんが読み聞かせたりして。想像力が広がるような絵本がいいわよね。その面では、私の絵も重要になってくるわけだけど……」
『そうだね……もう一度、書いてみるよ』
気を取り直して、前向きに和人が微笑む。
「うん。和人なら出来るわよ。さあ、今日はどうする?」
『最近帰ってないから、今日は実家に帰るよ』
「そう。じゃあ、ここで。またね……」
祥子は分かれ道の別の方向へと去っていった。和人はその後姿を見送ると、駅へと歩いていった。
作品名:Pure Love ~君しか見えない~ 作家名:あいる.華音