さくらさくら
ここ数日の暖かさで、桜並木は満開を通り越して、散り始めていた。
僅かな風にも散る花弁に、道行く人々から歓声が上がる。
何時もよりのんびりしたペースで歩きながら、俺は隣を歩く彼女に声をかけた。
「もう散り始めてるな」
「そうだね。ソメイヨシノは、開花時期が短いから。この木達は、全て一本の木から接木によって増えたそうだよ。彼らは自力で増えることが出来ないそうだ。つまり、彼らの触媒は『人』ということに」
「…黙って桜を楽しめんのか、お前は」
何時もの調子で話し始めたのを、途中で遮る。
彼女は申し訳ないような顔をして、
「すまない。また君を、うんざりさせてしまったようだね。どうも、私は、はしゃぎ過ぎているようだ」
「はしゃいでたのか」
俺の言葉に、彼女は真顔で頷くと、
「ああ。こんなに見事なソメイヨシノの並木を、君と歩いているという事実は、とても嬉しいことだよ。だから、つい、子供のような振る舞いをしてしまうという訳さ」
……相変わらず、分かり辛ぇ奴だ。
「子供は、桜の豆知識を語らんだろ」
「どうかな。私がソメイヨシノの逸話を知ったのは、小学生の時だよ。この見事な花木が、全てクローンだと聞かさ」
「…………」
「……すまない」
本気でしょげかえったらしい相手に、少々悪いことをした気になったので、頭上の枝に止まっている小鳥を指さし、
「ヒヨドリが来てるぞ。ヒヨドリだろ?あれ」
「ああ。ヒヨ……ああ、そうだね」
また何か思いついたのか。
しばらくは、お互い黙って歩いた。
風が一瞬強まり、目の前を淡いピンクに染め上げる。
一際高い歓声が上がる中、彼女が両手を前に差し出した。
「どうした」
「子供の頃にね、友人達が、『桜の花びらが落ちる前につかめたら、願いが叶う』と言っていたんだ」
「ああ、よく、女の子がやってたな。それでお前は、相変わらず空気の読めない発言をしたんだろう」
「いや、その場ではしていないよ。友人達のお願いを書きとめて、後日叶ったかどうか聞いたんだ」
「……嫌がられただろ、それ」
「うん。あの頃、君がいてくれたら、私も、もう少しましな人間関係を築けたと思う」
……小学生の俺には、荷が重いな。
「それで?今のお前は、何か願掛けしてるのか?」
俺の問いかけに、彼女は袖についた花びらをつまんで、
「うん。君と、ずっと一緒にいられますように、と」
……………。
「そうか」
「うん。私は、君とずっと一緒にいたい。出来たら、結婚して欲しい」
「断る」
俺の答えに、彼女は顔色を変えることなく、
「そうか。残念だね。差支えなかったら、理由を教えて貰えるかな?」
つまんでいた花びらを、風に乗せる。
「それは、男から言うことだ」
「………………」
「お前がそういう顔をする時は、俺の言ってることが1ミリも理解できない時だ」
「…何故理解度を長さで表すのかも不思議だけれど、理解できていないという点では、その通りだよ。結婚を申し込むのに、性別は重要な要素なのかい?」
「そうだ」
「どうして?」
「自分で考えろ」
俺の言葉に、彼女は目を瞬かせて、
「分かった。考えてみるよ」
「言っておくが、他人に相談するなよ。お前一人で考えろ。俺以外の誰にも言うな」
「何故?三人寄れば文殊の知恵と、昔から言われているだろう?」
「文殊だろうがもんじゃだろうが駄目だ。とにかく、俺以外の奴に言ったら、すぐに分かるからな」
「分かったよ…。君は大層地獄耳だからな…」
何故分かるんだろうとぶつぶつ言っているが、無視することにした。
これ以上、こいつのことで冷やかされるのは御免だ。
彼女は、ついと顔を上げると、
「その答えが分かったら、君は私の傍にいてくれるのか?」
「だから、それは男から言うことだ」
「ええっ?ますます分からなくなってきた…これは難問だ…」
また俯いてぶつぶつ言い始めた彼女に、俺は溜め息をつく。
まさか、先を越されるとは思わなかった……。
「この並木の端まで行っても分からなかったら、俺が言うからな」
「何を?」
「黙って考えろ」
言われた通りに、黙って考え込む彼女を横目に、俺は、桜の花びらを掴もうと手を伸ばす。
桜並木の終わりまで、彼女が答えを見つけないことを願って。
終わり