ピアス
「はあーあっと」
ため息まじりの欠伸をして、私は両腕を高く上げる。
残業しているのは、もはや私一人。ぽつりとついた電灯が、出来の悪いスポットライトのように輝いていた。
「あー、疲れた。いい加減帰ろうかなあ」
そうは言っても、これを片付けなければ帰れない。
帰ったところで、仕事を持ち帰る羽目になる。
だったら、ここで片付けてしまったほうがいい。
気分を変えようと、私は席を立った。
女子トイレの明かりをつけ、洗面台で蛇口をひねる。
眠気を吹き飛ばそうと、冷たい水に両手を晒した。
ふと視線を上げれば、目の前の鏡に、疲れ果てた自分の顔。
あまりの不細工さに、鼻で笑った瞬間、あることに気づいた。
ないっ!
ピアスが片方ない!!
慌てて、濡れた指先で確認しても、そこにあるのは自分の耳朶だけ。
どう・・・しよう。
怒られる。折角買ってもらったのに。
誕生日プレゼント。彼から貰った、大切な・・・
大切な・・・
「・・・あほか」
呟いて、だらんと手を下ろす。
怒ってくれる相手とは、とうに別れたのに。
今頃は、新しい彼女とデートでも楽しんでいるだろう。
「いつまでも、未練がましい」
戻れるはずがないと、分かっているのに。
私は、片方だけになったピアスを外すと、手の中に握り締める。
燃えないゴミ・・・だよね。
給湯室のごみ箱を素通りして、自分の席に座ると、引出しの中に片方だけのピアスを落とす。
・・・未練がましい。
溜め息をついてから、私はつけっぱなしのパソコンに向きなおった。
仕事も後一息というところで、突然後ろから物音がする。
「差し入れ」
ぶっきらぼうな声とともに、コンビニの袋が机の上に置かれた。
顔を上げれば、別部署の男性がこちらを見下ろしている。
「あれ・・・どうも。まだいたの?」
「いや、飲み帰り。課長に連れ回されてな。付き合いきれんから、他の奴に任せて、抜けてきた」
「ふーん。わざわざありがとう」
「窓から明かりが見えたもんで。適当に切り上げないと、上から言われるぞ。最近は、経費節減も厳しいからな」
相手の言葉に、私は肩を竦めてみせた。
「代わってくれるんなら、今すぐ帰る」
「代わらん。代わらんが、これをやろう」
スーツのポケットから、小さな紙袋を取り出して、机の上に放る。
「何?」
「・・・似たようなの、あったから」
「え?」
聞き返した時には、相手はさっさと背を向けて、エレベーターへと向かっていた。
「じゃ、明日な」
「あ、うん。ありがとう」
何だか分からないまま、その背中に声を掛ける。
コンビニの袋から、缶コーヒーと菓子パンを引っ張り出し、机の上に広げた。
それから、小さな紙袋を手に取ると、透明なテープを剥がす。
中から零れ落ちたのは、ひと組のピアス。
「・・・え?はい?」
一瞬、意味が分からなくて、小さなピアスをまじまじと見つめた。
指先で、そっと耳朶に触れる。
何時から・・・なかったのだろう。
「・・・ぷっ。・・・ふふっ・・・あははははははっ!」
誰もいないフロアーに、私の笑い声が響く。
「あははっ!あっははははっ!!似てない!!全っっっ然似てないから!!これ!!」
あの人は、優しくてお洒落で気が利いて、誰からも好かれて。
あんたみたいに、無口で無愛想で毎日同じようなスーツ着て、何考えてるのか分からないなんて言われなくて・・・
「はーっ。もう、可笑しい。あはははっ」
笑いながら、新しいピアスを耳につけた。
「着けたところくらい、見て行きなさいよ。ばーか」
引き出しを開けて、片方だけのピアスを取り出す。
燃えないゴミ、か。
私は立ち上がると、給湯室へと向かった。
終わり