しあわせなおはなし
<悪>は黒い髪、紅い瞳、黒い服でまさに真っ黒な<悪>でした。
<正義>は白い髪、青い瞳、白い服でまさに真っ白な<正義>でした。
<悪>と<正義>は気が付いたら世界にいました。
気が付いたら顔を合わせることすらいやになっていました。とうてい仲良くはできませんでした。
<悪>は<正義>を襲います。
<正義>は<悪>を打ち倒します。
しかし決着がつくことはありませんでした。
<愛>は言います。
<悪>さえいなければこの世界を愛で満ちあふれたものにできるのに、と。
やわらかな桜色の髪を揺らして、桃色の瞳をまばたたかせてそう言います。
<勇気>は言います。
<悪>さえいなくなるならば勇気をふるいたたせて世界を変えてみせるのに、と。
するどい鋼色の髪を逆立てて、銀色の瞳を光らせてそう言います。
<正義>には分かりませんでした。
どうして自分が<悪>を倒さなければならないのか分かりませんでした。
しかしそれが当然だと皆が言うのです。そしてそう思うのです。
<正義>は<悪>と一緒にあってはならないのです。
<悪>は何かしら知っているようでした。
しかし教えてはくれませんでした。
<悪>は言います。
私を倒さない方がいいですよ、と。
私を倒してしまえば大変なことになりますよ、と。
ころころと笑ってそう言います。
<正義>はまた<悪>を倒そうとしました。
しかし<悪>はいなくなりませんでした。
あるとき、<愛>が言いました。
あなたが<悪>を倒してくれないから、<憎しみ>が生まれてしまったわ、と。
愛する者をころされて、<憎しみ>が生まれてしまったわ、と。
あるとき、<勇気>も言いました。
おまえが<悪>を倒さないから、<臆病>が生まれてしまったぞ、と。
勇気をすり減らされたから、<臆病>が生まれてしまったぞ、と。
そして<憎しみ>が言いました。
このまま<悪>が倒れなければ、私は<悲しみ>を育てます、と。
憎いよりもずっとひどい、<悲しみ>を育て続けます、と。
それから<臆病>が言いました。
このまま<悪>が居続けるなら、私は<絶望>を育てます、と。
おびえるよりもずっとひどい、<絶望>を育て続けます、と。
<正義>はとうとう決めました。
<悪>を滅ぼすことを決めました。
<愛>の加護を受けた、<勇気>のつくった剣を持って、<悪>のところに向かいました。
<悪>はやっぱり笑いました。
私を滅ぼさない方がいいですよ、と笑いました。
私を滅ぼしてしまったら大変なことになりますよ、と笑いました。
<正義>はもはや、<悪>の言葉など聞こうともしませんでした。
そして<悪>は討たれました。
<正義>がそうと決めたので、抵抗などなく倒れました。
そうしてふしぎなことが起きました。
討たれた<悪>の胸に刺さる剣から、じわじわと<何か>が広がります。
<正義>は驚いて剣から手を放します。
しかし<何か>は<正義>を追いかけて、その手を黒く染めました。
そして<悪>の胸もじわじわと、<何か>に染まっていくのです。
黒い服を白く染め、黒い髪を白く染め、<悪>は白くなっていくのです。
そして<正義>を染める黒は、だんだんだんだん広がります。
白い服を黒く染め、白い髪を黒く染め、<正義>は黒くなっていくのです。
そして<正義>は気づきます。
指一本すら動かすこともできないことに。
そして<正義>も倒れました。<悪>の隣に倒れました。
<悪>はゆっくりと目を開けました。
白い髪を揺らし、白い服をまとい、瞳の色だけは変わらず、紅いままでした。
新しい名前を、<真実>といいました。
<真実>は、しずかに笑いました。
ですからやめた方がいいと言ったでしょう、と笑いました。
とても<悪>の笑みと似ていましたが、まったく違ったものでした。
黒い髪を落とし、黒い服をまとい、瞳を閉ざした<正義>を、そうっと抱き寄せます。
新しい名前を、<嘘>といいました。
<真実>は<嘘>を抱きしめます。
とても<憎>いとは思えない顔で、とても<臆病>とは見えない瞳で、<悲>しさと<絶望>で染まった表情で、<真実>は<嘘>を抱きしめます。
そしてもう、動くことはありませんでした。
<愛>は高らかに歌いました。
この世の愛を歌いました。
愛に満ちあふれた世界は、愛するがゆえに愛されるがために、他のなにものも許しませんでした。
許すはずの<正義>は、もういませんでした。
受け入れるはずの<悪>は、もういませんでした。
<勇気>は雄々しくほえました。
この世の勇気を咆哮しました。
勇気をふるいたたせた世界は、勇気があるために勇気ばかりがあるために、他のすべてと戦いました。
止めるはずの<正義>は、もういませんでした。
倒されるはずの<悪>は、もういませんでした。
むかしむかし、あるところに<真実>と<嘘>が生まれました。
<真実>は白い髪、紅い瞳、白い服でまさに真っ白な<真実>でした。
<嘘>は黒い髪、青い瞳、黒い服でまさに真っ黒な<嘘>でした。
<真実>と<嘘>は結ばれて、もう動くことはありませんでした。