世界が終わる夜に
思えば、どちらが被害者だったのかわからない。彼女に傷つけられた証拠は確かな形として、蚯蚓腫れだったり、ひっかき傷だったり、たんこぶだったりと、さまざまな痕として僕の体に刻み付けられていたけれど、彼女の方はどうだったのだろう。決まって連れ込まれたのは、埃の臭いで充満した、日当たりと人通りがほぼ皆無の空き教室。僕を蹴って、殴って、踏みつけて、ほかにもいっぱい、色んなことをされたけど、そんなときの彼女はいつも決まって、泣きそうな顔してた。泣きたいのはこっちだよ、って、いつも思ってたけど、けど、立場的に苛められていたのは僕の方だってことに間違いはないのに、より傷ついていたのは彼女の方だった気がする。僕を傷つけて、彼女はそれ以上の傷を負う。なんたる堂々巡り。何の利益も生まないいたちごっこ。
確かに学校という環境において、僕はとても浮いた存在で、どんなにぼろぼろの格好をしてクラスに現れたからって、誰が心配するでもなく、みんなの日常からごっそりと切り取られた僕は「クラスメイト」ですらなかったから、彼女がいくら僕を傷つけても誰も何も言わなかった。そんな生活に、僕もすっかり慣れ切っていた。
ある日。ついに彼女は、声を上げて泣いた。僕の無造作に伸びた髪の毛を掴んで教室をぐるぐると歩き回っている最中だった。
「もうやだよ、もうやだよぉこんなのぉお」
嫌なのは僕の方だ。そう言ってやりたくて仕方なかったけど、それでも彼女は、もうたんこぶだらけで元の頭の形がわからなくなった僕より、たくさん傷ついた顔をして、泣いた。彼女がしゃがむと僕の視界は彼女でいっぱいになった。灰色のカーディガンが暗がりの教室では濃紺に見えて、伸ばしきった袖から覗く指は細くとても頼りないものだった。しゃがんでいるのに、スカートの丈があまりにも短いから、その布はあまり床には散らばらなかった。変わりに、むき出しの太ももが不気味なほど白く、内側から光を放っているかのようにすら感じて、僕は、雑誌やパソコンの画面越しでしか見たことのない、彼女が僕を踏みつけるとき以外には決して拝めない、ぷっくりと膨らんだ太ももの間にある、白い三角形の薄い布を目の前に、一人場違いに興奮していた。その真ん中に、くたっと皺が寄っていて、そういえばおんなのこは、お尻からお尻じゃない部分にかけて同じ筋が通って、ふたつに割れているらしい、という保健の教科書やゴミ捨て場でよく見かけたえっちい漫画に描いてあったことを思い出す。僕はごくりと唾を呑み込んだ。うずき出した下半身をどうしようかとあくせくしていたら、彼女の折りたたまれていた脚がすっと天井に向かって伸びて、僕の視界の中心の、くたっとよれていた皺の部分がぴんと張った。
「なに人のパンツ見て興奮してんのよ、変態」
振り下ろされた踵がもろに脳天に直撃して、僕は世界の終わりを見た。
「今夜は帰りたくないの」
漫画やドラマでしか聞いたことのない台詞に、普通はもっとこう、違う類の動悸や動揺を覚えるはずなのに、彼女の口から出た言葉はただの遠まわしの脅迫にしか過ぎなかった。隣は歩きたくない、という彼女の要望に無理矢理答えさせられた僕は、彼女の後方3メートルから、そこらへんのカーナビより優秀に、僕の家の道への案内を迅速に、かつわかりやすく丁寧な日本語で口にする。ただし、轄舌が悪いのが些かの欠点だ。状況はどうであれ、誰かと帰路を共にするのは本当に久しぶりだった。最後の記憶としては確か、中3のときクラスの男子たちとやった、何故か僕だけがいつも負ける鞄持ちゲーム以来だ。高校に入ってからは、そういうゲームすら誘われなくなった。
「ど、どうして僕の、うち、なんですか」
「絶対見つかりっこないでしょ、あんたのとこなんか」
確かに。僕の家に人が来るなんて、ましてや女の子が来るなんて、一体誰が想像できようか。彼女が本当に家に帰りなくないのだとしたら、僕の家は絶好の隠れ家だった。それって、ただ単に寄生しているだけじゃないか?という疑問も、彼女が歩くたびに揺れるスカートと、見えそうで見えないその中身のことで僕の頭はいっぱいで、一瞬のうちにどっかの遠くへ飛んでいった。僕の手の中の彼女の鞄から、ふわりと甘いお菓子のにおいがした。
僕の家は相変わらず、誰もいなかった。
「親は?」
と聞かれたが、
「さあ、いつもいないんです」
とありのままを答えた。一瞬だけ見えた彼女の顔は、どこか物憂げでさびしそうに思えた。
「うわ、案の定」
僕の部屋をに入るなり、彼女は顔をゆがめて心底嫌そうにつぶやいた。それじゃあ入ってくんなよ、と思ったが、女の子と部屋でふたりきり、というシチュエーションに僕は相変わらず興奮を抑えるのに必死だった。朝僕が着ていてそのまま脱ぎ散らしていたパジャマは、まるで汚物に触れるかのように指先だけでつまみあげられ、そのまま部屋の外へ放り投げられた。そこらに散らばる漫画や雑誌は足で蹴つられ、僕の部屋にはミステリーサークルのように中心にぽっかりと穴が空いた、丸い円が出来た。そこにしゃがみこんだ彼女は、ぼうっと、ひどくうつろな目をしていた。
「本当に帰らなくていいんですか」
「いいの、あんな家。もう、いいの」
妙に冷たい温度で答えるから、僕は彼女が自分の家を嫌いなんだと錯覚してしまう。震える声の真意を掴めないまま、彼女の手が僕の手を取った。薄くて小さくて、今にも壊れてしまいそうな手だった。
「言ったでしょ。今夜は、帰りたくないの」
僕の中のセックスというものは、入院先のナースさんや、ベテランの女教師や、保健室の先生や、電車の中の見知らぬOLさんだったりと、ひどく夢見がちで非現実的な、とても浅はかなものだったのだと思い知る。あんなにことがスムーズに行くはずがない。あんなに女の子がイイ声でよがったりするものではない。雑誌や漫画や、本物に近いと思っていたDVDの世界ですら、こんなことは教えてくれなかった。脱がす服の手順、ブラジャーのホックのはずし方、胸は片方だけの方がいいのか両方触った方がいいのか、いつ下に指を這わせたらいいのか。全てが未知の世界で、僕は生まれたての赤ん坊より弱くとても頼りない生き物だと思い知らされた。彼女の儚い手が、生まれたての僕を導いて、それでようやく僕は、生まれて初めてのセックスを経験する。怖かった。裸になる以上に全てを見せなくてはならないその行為は、未知で、不可思議で、神秘的なんてものじゃあない。もっと生々しくて、ちっとも甘くなくて、痛くて、怖くて、僕は泣いた。彼女も、泣いていた。痛いって、下手だって、息かけんな気持ち悪いんだよクソやろうって、散々暴言を吐いていたくせに、最後の最後に、とても綺麗な涙を流して、一緒に果てた。この行為に、何の意味があったかわからない。僕にとっては全てが初めてで、僕がしたというより、彼女の手が彼女自身を犯したようにすら思える。僕の手を借りた自慰行為に、近い。それは彼女に、何の感情を与えたのだろうか。彼女の白い頬を伝う涙は、それ以上に透明でうつくしく、舐めるとしょっぱくて、そのあとに殴られた顎が今も痛む。
「調子こきすぎ、ばーか」
それじゃあどうしてキスなんかしてきたんだ。
確かに学校という環境において、僕はとても浮いた存在で、どんなにぼろぼろの格好をしてクラスに現れたからって、誰が心配するでもなく、みんなの日常からごっそりと切り取られた僕は「クラスメイト」ですらなかったから、彼女がいくら僕を傷つけても誰も何も言わなかった。そんな生活に、僕もすっかり慣れ切っていた。
ある日。ついに彼女は、声を上げて泣いた。僕の無造作に伸びた髪の毛を掴んで教室をぐるぐると歩き回っている最中だった。
「もうやだよ、もうやだよぉこんなのぉお」
嫌なのは僕の方だ。そう言ってやりたくて仕方なかったけど、それでも彼女は、もうたんこぶだらけで元の頭の形がわからなくなった僕より、たくさん傷ついた顔をして、泣いた。彼女がしゃがむと僕の視界は彼女でいっぱいになった。灰色のカーディガンが暗がりの教室では濃紺に見えて、伸ばしきった袖から覗く指は細くとても頼りないものだった。しゃがんでいるのに、スカートの丈があまりにも短いから、その布はあまり床には散らばらなかった。変わりに、むき出しの太ももが不気味なほど白く、内側から光を放っているかのようにすら感じて、僕は、雑誌やパソコンの画面越しでしか見たことのない、彼女が僕を踏みつけるとき以外には決して拝めない、ぷっくりと膨らんだ太ももの間にある、白い三角形の薄い布を目の前に、一人場違いに興奮していた。その真ん中に、くたっと皺が寄っていて、そういえばおんなのこは、お尻からお尻じゃない部分にかけて同じ筋が通って、ふたつに割れているらしい、という保健の教科書やゴミ捨て場でよく見かけたえっちい漫画に描いてあったことを思い出す。僕はごくりと唾を呑み込んだ。うずき出した下半身をどうしようかとあくせくしていたら、彼女の折りたたまれていた脚がすっと天井に向かって伸びて、僕の視界の中心の、くたっとよれていた皺の部分がぴんと張った。
「なに人のパンツ見て興奮してんのよ、変態」
振り下ろされた踵がもろに脳天に直撃して、僕は世界の終わりを見た。
「今夜は帰りたくないの」
漫画やドラマでしか聞いたことのない台詞に、普通はもっとこう、違う類の動悸や動揺を覚えるはずなのに、彼女の口から出た言葉はただの遠まわしの脅迫にしか過ぎなかった。隣は歩きたくない、という彼女の要望に無理矢理答えさせられた僕は、彼女の後方3メートルから、そこらへんのカーナビより優秀に、僕の家の道への案内を迅速に、かつわかりやすく丁寧な日本語で口にする。ただし、轄舌が悪いのが些かの欠点だ。状況はどうであれ、誰かと帰路を共にするのは本当に久しぶりだった。最後の記憶としては確か、中3のときクラスの男子たちとやった、何故か僕だけがいつも負ける鞄持ちゲーム以来だ。高校に入ってからは、そういうゲームすら誘われなくなった。
「ど、どうして僕の、うち、なんですか」
「絶対見つかりっこないでしょ、あんたのとこなんか」
確かに。僕の家に人が来るなんて、ましてや女の子が来るなんて、一体誰が想像できようか。彼女が本当に家に帰りなくないのだとしたら、僕の家は絶好の隠れ家だった。それって、ただ単に寄生しているだけじゃないか?という疑問も、彼女が歩くたびに揺れるスカートと、見えそうで見えないその中身のことで僕の頭はいっぱいで、一瞬のうちにどっかの遠くへ飛んでいった。僕の手の中の彼女の鞄から、ふわりと甘いお菓子のにおいがした。
僕の家は相変わらず、誰もいなかった。
「親は?」
と聞かれたが、
「さあ、いつもいないんです」
とありのままを答えた。一瞬だけ見えた彼女の顔は、どこか物憂げでさびしそうに思えた。
「うわ、案の定」
僕の部屋をに入るなり、彼女は顔をゆがめて心底嫌そうにつぶやいた。それじゃあ入ってくんなよ、と思ったが、女の子と部屋でふたりきり、というシチュエーションに僕は相変わらず興奮を抑えるのに必死だった。朝僕が着ていてそのまま脱ぎ散らしていたパジャマは、まるで汚物に触れるかのように指先だけでつまみあげられ、そのまま部屋の外へ放り投げられた。そこらに散らばる漫画や雑誌は足で蹴つられ、僕の部屋にはミステリーサークルのように中心にぽっかりと穴が空いた、丸い円が出来た。そこにしゃがみこんだ彼女は、ぼうっと、ひどくうつろな目をしていた。
「本当に帰らなくていいんですか」
「いいの、あんな家。もう、いいの」
妙に冷たい温度で答えるから、僕は彼女が自分の家を嫌いなんだと錯覚してしまう。震える声の真意を掴めないまま、彼女の手が僕の手を取った。薄くて小さくて、今にも壊れてしまいそうな手だった。
「言ったでしょ。今夜は、帰りたくないの」
僕の中のセックスというものは、入院先のナースさんや、ベテランの女教師や、保健室の先生や、電車の中の見知らぬOLさんだったりと、ひどく夢見がちで非現実的な、とても浅はかなものだったのだと思い知る。あんなにことがスムーズに行くはずがない。あんなに女の子がイイ声でよがったりするものではない。雑誌や漫画や、本物に近いと思っていたDVDの世界ですら、こんなことは教えてくれなかった。脱がす服の手順、ブラジャーのホックのはずし方、胸は片方だけの方がいいのか両方触った方がいいのか、いつ下に指を這わせたらいいのか。全てが未知の世界で、僕は生まれたての赤ん坊より弱くとても頼りない生き物だと思い知らされた。彼女の儚い手が、生まれたての僕を導いて、それでようやく僕は、生まれて初めてのセックスを経験する。怖かった。裸になる以上に全てを見せなくてはならないその行為は、未知で、不可思議で、神秘的なんてものじゃあない。もっと生々しくて、ちっとも甘くなくて、痛くて、怖くて、僕は泣いた。彼女も、泣いていた。痛いって、下手だって、息かけんな気持ち悪いんだよクソやろうって、散々暴言を吐いていたくせに、最後の最後に、とても綺麗な涙を流して、一緒に果てた。この行為に、何の意味があったかわからない。僕にとっては全てが初めてで、僕がしたというより、彼女の手が彼女自身を犯したようにすら思える。僕の手を借りた自慰行為に、近い。それは彼女に、何の感情を与えたのだろうか。彼女の白い頬を伝う涙は、それ以上に透明でうつくしく、舐めるとしょっぱくて、そのあとに殴られた顎が今も痛む。
「調子こきすぎ、ばーか」
それじゃあどうしてキスなんかしてきたんだ。