少年と保健室
学校は面白い。それなりに。
生徒会もつまらなくはない。それなりに。
それでも、急に何もかもがつまらなくなる時が、人間にはあるのだ。
特に僕のような思春期真っ只中の青年としては尚更だろう。
「そういうわけで、音緒(ねお)君はボクのところに来たわけだ」
「いや、違う。君の顔を見たくなったのさ」
「うそつき」
うむ、確かに嘘だ。
こいつと話はしたいが、こいつの顔は絶対に見たくない。
目の前にいる奴は瑞縞閏(みずしま じゅん)。保健室登校をしている問題児だ。
「それで、今日は何が理由でつまらなくなったの?」
「上空からの精神攻撃を受けてね。ちょっとメンタル的にダメージを受けたんだ」
「今更そのネタは流行らないよ。エバってアレでしょ? ロボットでしょ?」
「ああ? 殺すぞ?」
僕は椅子に座り、辺りを見回す。
保健室は相変わらず静かだ。白い清潔な部屋に窓から日が差し込む。
カーテンを揺らして入ってきた風は、机の上のノートのページをパラパラと捲った。
「保険医はどうした?」
「人飼(ひとかい)先生なら茶菓子買いに。首廻(くびまわり)先生ならナイフ研ぎに行ったよ」
「首廻先生……また新しい刃物買ったのか」
閏がヤカンに水を入れてコンロにかけた。急須にサラサラと入れているのは緑茶の茶葉だ。勝手に飲んでいいのだろうか。
「そういえば、今は授業の時間じゃないのかい?」
「ああ、自主休講」
「サボっちゃ駄目ですよー」
「保健室通学してるやつに言われたくない」
それを聞くと閏は「耳が痛いな」といいながら苦笑した。
「それで、本当はどうしてここに来たんだい?」
「スタンド攻撃を受けている。頼りになる奴がお前ぐらいしかいない。助けてくれ」
「本当は?」
「学校の中はゾンビだらけだ。クラスの連中もやられちまった。残るは校長室と三階とこの場所くらいだ」
「もうっ、君は相変わらず、うそつきだな」
何を失礼な。
本当のことを言うのに慣れてないだけだ。
「ほら、飲みなよ」
「わるい、サンキュ」
お茶を受け取って飲む。入れたばかりで熱かったので、少しだけ飲んでテーブルの上に置いておいた。
「会長は元気?」
「三月(みつき)か。あいつは元気だよ。最近は生徒会室でよくガバディをやっている」
「うそつき」
「…………」
残念なことに、これは本当なんだよなぁ。
「幼馴染なんだって? 君と会長」
「んん? 誰に聞いた?」
「写堂(しゃどう)くん」
硝壱(しょういち)、あの野郎め。
人のプロフィールを勝手にペラペラと喋りやがって。
「いいねー、幼馴染。それだけでフラグ立っちゃう感じだよねー」
「ああ、まったくだ。今じゃ三月ルート四週目だよ」
「うそつき。というか君ってメタ的な存在じゃないだろ」
「そうとも言えんぞ。実はこの世界の神で、世界を何週もさせつつ色んなルートを楽しんでいるフラグマスターかもしれないじゃないか。君に『そうじゃない』と断言できる証拠はあるか?」
「じゃあその神様に聞きますけどさ」
「なんだ愚かな人間よ、言ってみるがいい」
「ボクルートはある?」
「んん?」
僕は眉を潜め、相手を見る。
「え、何ルートだって?」
「ボクルートだよボクを攻略するルート。僕とフラグ立てたりイチャイチャしたりするルート。そんな変な顔しないでよ」
いや、普通するだろ。
「えっとさー。それ以前にさー」
ポリポリと頬をかきつつ質問。
そうだ、僕はこいつの肝心なことを知らない。
ルートだとか何とか、そういう話になるなら尚更聞かなければならない。
「閏、お前は男なの? 女なの?」
そう、僕はこいつの性別を知らないのだ。
「……まだ、気付いてなかったの?」
「だってお前、わかんねーんだもん。いつも制服じゃなくてジャージだし、髪の毛の長さも中途半端だし」
これだから僕は、こいつの顔を見るのが嫌いなのだ。
「おやおや、これは参ったね」
「僕だって参ってる。教えてくれ」
僕は懇願しつつも緑茶を一口。
「ところで、例えもしボクが自分の性別を言ったところで、君はボクの言葉を信じるのかい?」
「信じるさ。僕と違って君は嘘つきじゃない」
「そうでもないよ。それより、手っ取り早く君がボクの性別を確実に知る方法がある」
「なんだ? 教えろ」
「音緒、君がボクを押し倒すのさ」
耳を疑った。
吹きそうになる緑茶をなんとか唇の手前で止め、慎重に飲み込む。
「押し倒す。そう、レイプとも言うね。あ、でもボクは受け入れてるからレイプとは言わないのかな。強いて言うならば和姦といった感じか」
「……冗談も程ほどにしろ」
「冗談でもないよ」
「…………」
「…………」
「……却下だ」
僕は勤めて冷静に振舞い、呆れたように手を振った。
「僕は君とはそういう関係を望んでいない。何より、それで知ることができたとしても、後で僕は絶対に自分自身に絶望する」
「絶望している君も見てみたいけどね」
「僕は見たくない」
「そっか……」
お互いに沈黙。
しばらく重苦しい空気が流れた。
「……そっか……そうなのか……はは、馬鹿なことを言ってしまったようだな」
「ようやく気付いたか」
「ああ、ようやく気付いた。酔狂なことを言ったものだ」
閏は乾いた笑い声を出しながらベッドに横になる。
「大丈夫だ。嘘ってことにしてしまえばいい」
「…………なるほど、君はそうやって生きてきたんだね」
「ああ。意外と便利だぞ」
「同感だ」
そこで閏はガバリとベッドの上から起き上がる。
「そうこう言ってるうちに、そろそろ午前の授業が終わるぞ。昼食はいいのかい?」
気付けば時計は12時を回っていた。
「ああ、そうだな。腹が減ったし食堂に行こう」
「行ってらっしゃい」
手を振る閏。僕はそれに応えず席を立つ。
「そうそう、音緒くん」
「……なんだ、閏」
「僕の性別を知りたくないかい?」
ベッドの上、閏は布団の中で足を組み、片手を胸に当て、上目遣いで僕を見る。
僕は……
「…………いや、いいわ」
「そうか……」
扉を開けて廊下に出る。
「あ、それと」
扉を締めようと後ろ手で取っ手を引こうとした直前、もう一つの質問が飛んできた。
「これからも、ここに来てくれるかい?」
間。
しばらく悩んだ後、僕はこう応える。
「いや、二度と来ないね」
「嘘つき」
そして、扉を閉めた。
僕は嘘をついた。保健室に行く行かないのことではない。
アイツの性別についてだ。
本当のところ、アイツの性別を知りたくてたまらない。
けど、それを知ってしまったら、この心地よい距離が壊れてしまいそうで。
「あーあ」
「ちぇっ」
「「僕(ボク)の意気地無し」」