短編?
目覚めた後でさえ、体中に夢の余韻が名残惜しそうにへばりついているのが解る。心地よいまどろみが、微かに繋ぎとめた意識をゆっくりとたぐい寄せ、無意識に繰り返される緩やかな呼吸が、目覚めた部屋の静寂を微かに震わせている。
夢――――そう、彼女は夢を見ていた。しかし、その夢の中では何があり、自分は何を見て誰と会ったのか――――思い出そうとする彼女の意思とは裏腹に、記憶の糸は押し固められた部屋の静寂の中で、次々に途切れていった。
どうでもいい――大抵の人はそう言って片づけてしまうだろう。生まれてから死ぬまでに過ごす夜の中の、たった一つの夢に固執するなどナンセンスだと。―――けれど、どういう理由かは解らない。彼女はその夢の内容がとても大事なものであると直感した。なぜなら、頬の上で乾いた涙の理由がそれ以外に思いつかないからだ。
悲しみ?
それとも、喜び?
乾いた痕が残る頬を撫でながら、彼女は思考を巡らせる。とても、とても深い夢だったに違いない。涙を流すほどの何かを目の当たりにし、そして忘れてしまうほどの理由がその夢にはあるはずなのだから――――。
ベッドに転がったまま、彼女は視線だけを傍にある時計へと向ける。
時刻は午前4時37分。日の出まで少しだけ時間がある。無機質な秒針の囁きが、部屋の静けさの中でやけに大きく聞える。明かりの消えた部屋の中には、街灯が仄かに忍び込み、意味の無い光の陰影を壁に描き出していた。
ベッドに寝転がったまま、彼女はそっと右手を伸ばす。細くしなやかな腕は、手首の辺りから青白い光を浴び、壁に投影されたその影は、ステージの上で照明を浴びる悲劇の役者のようだった。
「――――ふふ、懐かしいなあ」
手先を躍らせながら、壁に映る影に彼女は一人ごちた。
子供の頃、母親とそうして遊んだ記憶が、彼女にはあった。ある日、幼かった彼女が明かりの消えた部屋の闇に怯えていると、その声を聞きつけて母親が駆けつけベッドサイドの明かりを点けた。黄昏色の光を浴びさせて、壁にいろんな模様を母と二人で映し出し、演劇のように台詞を言い合い笑いあった。そんな暖かい二人の時間は、彼女が五歳の時に母親が他界するまでずっと続き、彼女もずっと続くのだと信じていた。それだけに、火葬される前、棺の中で冷たく眠る母親の顔を見た時の悲しみは大きく、自分が当たり前と思っていたささやかな幸せがどれだけ幼稚で儚い望みなのかを、彼女は子供心にも思い知ったのだ。
後を追うように父親が首をつり、一人取り残された彼女は狂気へと至った。自殺未遂でこの精神病院に運び込まれるのも、これが初めてではなかった。手首に刻まれた傷痕が、彼女の抱える闇の深さを、声無く物語っている。
街灯を浴び踊る指先―――しかし、それはパートナーのいない孤独なダンスだった。失われゆく夢の残滓を惜しむように震え、孤独と言う名の旋律に翻弄され続ける彼女自身の姿だった。